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2013年2月15日 (金)

非力を認めるのには、自信が要る

他力本願というコトバがある。法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗のベースになっている教えで、阿弥陀如来(他力)に救われることを意味している。本来は。ここでは、チガウ意味に使う。つまり自力(自分の能力)以外のもの(他人の能力)に頼ることとして使っていると見做してもらいたい。で、いきなり微分の話をする。またかよと読者は思うだろう。けどな、数学というのは考え方の一分野の学問だから、何に応用してもイイのだ。というのが私の考え方で、アタリマエだが、演劇論に、その概念を応用している。数学が難しいとか、苦手とかいうのは私も同じだ。私の考えでは数学が難しいのではナイ。数学を説明しているコトバが難しいだけだ。概念はさほど難解なものではナイ。
関数と微分は比較的多く用いる。何故なら関数と微分とは切っても切り離せない間柄だからだ。関数y=f(x)は、xとyとの対応関係だ。どちらかが決まればもう片方も決まる。もうひとつは、関数y=f(x)は、xとyによる対応関係が連続して出来る「曲線のカタチを表している」ということだ。こいつがナイと微分と関係させることが出来ない。グラフを想定して頂ければイイ。まず関数y=f(x)の曲線上のごく一部分を切り出す(区切る)。曲線の部分だから「部分曲線」と数学ではいう。これは何をしたのかというと、曲線を「微分した」ことになるのだ。「微」量に「分」けたからだ。
さて、関数y=f(x)はxとyとの対応関係だった。そうしてそれは曲線だった。そうするとこの微分された関数も、xとyとの対応関係を持つ曲線だ、ということになる。ただし、元の曲線より微細になっている。対応関係だから、ここで、それぞれの曲線はxの成分とyの成分を持っていると考える。このxの成分をdxと記し、yの成分をdyと記す。この比を「微分係数」と数学では称してdy/dxと書いている。イメージするならば、縦軸dyと横軸dxの長さの比だ。微分された曲線はこの縦軸と横軸の中に在る。ところで、この「微分係数 dy/dx」の曲線がxとどう対応しているのかと考えるとすれば、両者は関数の関係に在るということが出来る。つまりdy/dxはxの関数になる。関数y=f(x)から導かれた関数ということになるので、これを「導関数」と称する。これは際限なく続けていくことが出来る(つまりどんどん微分していくことが出来る)。これを距離と速度と時間のグラフに置きかえて考えれば、微分はその瞬間の速度の変化を微細に求めていることになるから、「加速度」を求めていることになる。ここまでは、実は前置きだ。長かったネ。ごめん。
このあいだ、劇作家の樋口ミユに戯曲を一曲ギフトした。理由は、樋口の仕事に期待しているでもいいし、その才能を伸ばしてやりたい欲求があるでもいいし、愛人にするための下心でも、何でも好きなように勝手に思い込んでくれてよろしい。ほんとのところは面倒だから書かない。そんなものオレの勝手だということにしておく。
『白い砂の少女』というタイトルだが、これは加山雄三のアルバムから、ええタイトルやないケ、ケケケケケと、盗んできたものだ。で、『劇王』大会のイベントで出会ったので挨拶に行くと、そのホンとにらめっこをしている。演出のために脚本分析をしていたワケだ。で、彼女は私にその解釈を解説する。私はなるほどと思う。一旦手渡されたホンは、どのように読まれてもカマワナイ。だいたい私は、おおよその見当でしか書いていなかったもんだから、彼女がそれを彼女なりに読み込んだのを聞いて、そういうホンだったのかと思う。つまり私は関数を提供したのだが、彼女はそれに彼女の関数として接線を引いて微分したということになる。ところで、私はどうも買い被られているので、そんなことは私には最初からお見通しだったと彼女は思ってしまう。こういう事例はよくある。私は他力本願だから、囲碁に例えるなら、ここに石を置くということは一応決めているのだが、他のスタッフ・キャストから違う場所を指摘されると、ああ、そこのほうがイイなと、すぐにそれを取り込んでしまう。囲碁は石一つで局勢が変わる。で、私がそれをやると、それを教えてくれたスタッフ・キャストは、その手も私の手順、読みの一つにすでにあったはずだと、私を買い被って思い込んでしまう。だから、あまり進言しなくなった。私は他力本願には自信があるのだ。いつぞや岸田國士先生の戯曲を三曲演出したことがあったが、三つとも何の話だかワカラナクテ、全部、スタッフ・キャストに教えて貰った。他力の正しさとマチガイを判断する自信があるからこそ、私は私の非力に恥じたことは一度もナイ。

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