ひさかたの
ほんとは「久方ぶり」が正しいのだが、つまり「ひさかたの」は枕詞だから。しかし、まあnuanceとしては、ひさかたのでもいいや。
ずいぶんと前回から間があいた。総選挙以来だから。
双極性障害というヤツで、こいつはまあ鬱病と躁病が交互(あるいはどちらかがひどく)に現れる疾病なんだけど、ジプレキサという新薬が承認されたので、ずいぶんと助かっているひとも多いようだ。私の場合はまだバレリンで間に合わせている。これはクリニックの医師が新薬には慎重になっているからだ。その成果というか、おかげで、パキシルの難は逃れている。
つまるところ、現状は鬱病と診断するよりも、双極性障害と診断される例が多い。私の鬱病も次第にそういうカタチをとるようになって、aggressiveになっているときはたいてい、lineが躁病領域に達しているらしく、希死念慮の強いときは鬱病に下がっていると思われる。困るのは、このspanに長短があって、30分で終わるときもあれば、1時間以上続くこともあることだ。またその強弱が、キツイときは、もんどりうっての七転八倒。例をいうなれば、おこり【瘧】(1日とか2日おきというように周期的に悪寒戦慄と発熱を繰り返すという特徴のある病状。夏の風邪や山間の悪気などの外邪によって起こされるとされ,湿瘧(しつぎやく)とか痎瘧(がいぎやく),瘴瘧(しようぎやく)など多くの病名が記載されている。他の病気も含まれていたであろうが,主体はマラリアと考えられる)だ。この症状がカラダに出たとき、その最中は「こりゃあ、自殺者が出ても不思議じゃねえな」といつも思う。発作(のようなもの)が終わると、いつも「生還」という感じだ。
そんなこんなで、何を書いても愚痴になるかと、しばらくの開店休業だったが、年末年始には実家で、昨年の11月に再婚した嫁と母、弟の四人で、ひさかたぶりというよりも、初めて「家族的」なものを味わった。母は新しい嫁がたいそう気に入ったようで、私も母親に女性を紹介したのは四度目だが、かのような柔和な母親は観たことがナイ。(ただし、嫁にいわせると、そうではなく、二人の気楽そうな様子に満悦だったらしいが、そっちのほうが当たっているようだ。ともかくこの嫁さんは[観察力]にだけは私など遠く及ばぬほどずば抜けている)
仕事のほうは、四方八方に戯曲は撃つだけ撃ったので、それがいつ上演されるかだけのことで、今年から来年にかけて、いろいろとあちこちで私の作品の舞台が観られると思う。私財は、年頭にこれだけ残っていればいいだろうと試算した額より多くの残高が通帳にあったので、特に多くの仕事を入れる必要はなく、いまのところは伊丹の塾と企画ものの単行本用原稿を自分のペースで書いていけばイイ程度だ。
世間では、私が印税で悠々自適に食ってるなどと思っている輩が多いが、実際のところは現役で書き続けて糊口をしのいでいる。伊丹の塾は別として、生涯筆一本、これは私の理想だから、たいへんありがたいことだ。
ただ、名古屋の小劇場演劇は私の印象からだけいわせると壊滅的で、その脆弱さと未熟さは看過出来ないほどなのだが、これはもう私にはどうにもならないことで、還暦を過ぎたいまも、新たに戦略の練り直しを迫られているような按配だ。

