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2013年1月

2013年1月20日 (日)

今朝は、谷川雁、を口ずさみたくなって

なきはらすきこりの娘は
岩のピアノにむかい
新しい国のうたを立ちのぼらせよ

つまずき こみあげる鉄道のはて
ほしよりもしずかな草刈場で
虚無のからすを追いはらえ

あさはこわれやすいがらすだから
東京へゆくな ふるさとを創れ

おれたちのしりをひやす苔の客間に
船乗り 百姓 旋盤工 抗夫をまねけ
かぞえきれぬ恥辱 ひとつの眼つき
それこそ羊歯でかくされたこの世の首府

駈けてゆくひずめの内側なのだ

『大地の商人(抜粋)』 
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「段々降りてゆく」よりほかないのだ。
飛躍は主観的には生まれない。

下部へ、下部へ、根へ根へ、
花咲かぬ処(ところ)へ、
暗黒のみちるところへ、

そこに万有の母がある。
存在の原点がある。

『原点が存在する(抜粋)』
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「生活は学習だ」と私は不埒にも、自らが生活破綻者であることを省みず、私より何倍も生活を学習してきている娘に説いたことがある。いくら「学習」しても、私のような前科者の前科が消えるワケではない。ウディ・アレンの口癖は「人生に意味なんてナイ」だが、川島雄三になると「死に神と握手してから積極的に逃避するでげす」だ。

私のきょうのあさはあっというまに壊れて、「悲しみ」と「哀しみ」と「愛しみ」だけが残った。たった独り、希望のごとくにつぶやいた。「まだ私にこれだけ失うものがあったなんて」

2013年1月18日 (金)

アホの再認識

これまた久しぶりに「数学」の基本をお復習いしてみた。次の想流私塾の lecture は「代数の構造」をやるつもりだったからだ。二つ収穫があった。「代数の構造」と称するよりも、「関数の構造」としたほうがワカリヤスイということだ。少し歩を進めて y=f(x)の一次方程式(関数を等号で結んだもの)を、さらに微分することで、導関数を求めて、「加速度」までやってみようと考えたのだ。ついでにローレンツの「カオス理論」の元理論までは、『恋愛的演劇論』への backup にはなった気がした。
とはいえ、多くの数学的知識もろもろが脳からポロポロ抜け落ちているのに、唖然呆然。
ゲーデルの「不完全性定理」くらいまではなんとかいけるのだが、他はため息をつくしかなかった。なんぼやっても所詮はアホやなあ。
とはいえ、数学というのは、概念の学問だということは再認識できた。要するに概念以外は「何もナイのだ」。何もナイものを在るという前提にしながらでナイと数学は成立しない。それはあらゆる「現実」と「虚構」に共通のものだろう。無論、表現においてもだ。
てなことをカシコそうにいいながら日常では、ウッカリの失敗ばっかりしている。そういう自分に少しだけ嫌気がさした。これもアホの再認識だ。

2013年1月17日 (木)

ひさかたの

ほんとは「久方ぶり」が正しいのだが、つまり「ひさかたの」は枕詞だから。しかし、まあnuanceとしては、ひさかたのでもいいや。
ずいぶんと前回から間があいた。総選挙以来だから。
双極性障害というヤツで、こいつはまあ鬱病と躁病が交互(あるいはどちらかがひどく)に現れる疾病なんだけど、ジプレキサという新薬が承認されたので、ずいぶんと助かっているひとも多いようだ。私の場合はまだバレリンで間に合わせている。これはクリニックの医師が新薬には慎重になっているからだ。その成果というか、おかげで、パキシルの難は逃れている。
つまるところ、現状は鬱病と診断するよりも、双極性障害と診断される例が多い。私の鬱病も次第にそういうカタチをとるようになって、aggressiveになっているときはたいてい、lineが躁病領域に達しているらしく、希死念慮の強いときは鬱病に下がっていると思われる。困るのは、このspanに長短があって、30分で終わるときもあれば、1時間以上続くこともあることだ。またその強弱が、キツイときは、もんどりうっての七転八倒。例をいうなれば、おこり【瘧】(1日とか2日おきというように周期的に悪寒戦慄と発熱を繰り返すという特徴のある病状。夏の風邪や山間の悪気などの外邪によって起こされるとされ,湿瘧(しつぎやく)とか痎瘧(がいぎやく),瘴瘧(しようぎやく)など多くの病名が記載されている。他の病気も含まれていたであろうが,主体はマラリアと考えられる)だ。この症状がカラダに出たとき、その最中は「こりゃあ、自殺者が出ても不思議じゃねえな」といつも思う。発作(のようなもの)が終わると、いつも「生還」という感じだ。
そんなこんなで、何を書いても愚痴になるかと、しばらくの開店休業だったが、年末年始には実家で、昨年の11月に再婚した嫁と母、弟の四人で、ひさかたぶりというよりも、初めて「家族的」なものを味わった。母は新しい嫁がたいそう気に入ったようで、私も母親に女性を紹介したのは四度目だが、かのような柔和な母親は観たことがナイ。(ただし、嫁にいわせると、そうではなく、二人の気楽そうな様子に満悦だったらしいが、そっちのほうが当たっているようだ。ともかくこの嫁さんは[観察力]にだけは私など遠く及ばぬほどずば抜けている)
仕事のほうは、四方八方に戯曲は撃つだけ撃ったので、それがいつ上演されるかだけのことで、今年から来年にかけて、いろいろとあちこちで私の作品の舞台が観られると思う。私財は、年頭にこれだけ残っていればいいだろうと試算した額より多くの残高が通帳にあったので、特に多くの仕事を入れる必要はなく、いまのところは伊丹の塾と企画ものの単行本用原稿を自分のペースで書いていけばイイ程度だ。
世間では、私が印税で悠々自適に食ってるなどと思っている輩が多いが、実際のところは現役で書き続けて糊口をしのいでいる。伊丹の塾は別として、生涯筆一本、これは私の理想だから、たいへんありがたいことだ。
ただ、名古屋の小劇場演劇は私の印象からだけいわせると壊滅的で、その脆弱さと未熟さは看過出来ないほどなのだが、これはもう私にはどうにもならないことで、還暦を過ぎたいまも、新たに戦略の練り直しを迫られているような按配だ。

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