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2012年11月25日 (日)

不条理

先だって、渡山くんの『死愛づる姫君』を共同スタジオで観劇したが、不条理劇のparodyかなと思った。「だな」ではなく「かな」だ。
渡山くんは不条理劇が好みなんだろうけど、おそらく「不条理」が好みというワケではナイ。というか、不条理劇の雰囲気は好きだが、「不条理」については興味があるとはいえない、といったふうだ。
「不条理」というのは何か、一度、渡山くんなりに定義してみるとイイ。私の定義はいたって簡単で「ひとは必ず死ぬ」だ。これ以上の定義もこれ以下の理解もナイ。たとえ恋人に「きみのことは永遠に愛します」といっても、死ぬんだから、出来るワケがナイ。つまり、人間というのは、もともと不条理に出来ているということだ。もちろん、それは歓迎されることではナイ。ここから、不条理をどう受け止めるかという人間の争闘が始まる。不条理劇(小説)というのは、不条理を描くものと、この争闘を描くものがある。アルベール・カミュの『異邦人』は前者で『ペスト』は後者に該ると、おおまかにカテゴライズしてもあながちマチガッテはいまい。
ところで、同じ不条理でも、カフカは暗いが、カミュはアカルイのだ。カフカの暗さは根強いが、カミュのアカルサは、せつなく哀愁を含んでいる。私はromanticistなので、どちらかというとカミュを好む。
東方で、不条理に気づいて、これを真剣に考え抜いたのは釈迦牟尼だ。「生病老死」の、いわゆる「四苦」などは不条理そのものではないか。「会者定離」もそうだ。
有名なカミュ、サルトル論争で、当時勝った(といわれた)のはサルトルだが、現在、サルトルの思想など廃れてどこにもナイ。しかし、カミュがあの論争で述べた闘いの方法は現在も有効だ。communismが全盛のとき、その闘争の方法に反旗をひるがえしたカミュは、かなり勇気と覚悟を持っていたにチガイナイ。
「真なるものは蹉跌する」、なぜ、そんな不条理が罷り通るのか。日常は不条理に満ちあふれている。芝居のネタなんざ、いくらでもあるぜ。

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