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2012年11月 8日 (木)

一から出直さない

「no side」というのは、もともとラグビーの試合終了のことだ。単に試合が終了したということだけではなく、試合終了すれば敵味方なしという意味があり、ここから発展して、それまでのことは「一切チャラ」にするということに用いられる。日本人はよく「一から出直す」というコトバを口にする。これもno sideと同様だが、いささか覚悟、別の表現でいえば、「腹をくくる」というと同意になる。ところで、「一から」というのはよくよく考えてみると、ちょっと妙だ。つまり、「一」という数量があるのだから、まったく全てを「チャラ」にしているワケではナイことになる。日本人には、0(ゼロ)の概念がなかったワケではナイが、0(ゼロ)を「無」というふうにすると、仏教哲学に混同してしまうゆえ、敢えて「一から」と述べたとかんがえたほうがイイ。つまり、「一から出直す」という意味は、ほんとうは「ゼロから出直す」と同意ということになる。0(ゼロ)という概念は、いまなお難しい概念で、その発明はインド数学だが、先述した仏教哲学においては、0(ゼロ)はほんとうは「無」ではなく、「空」とされる。般若心経の「色即是空」を「色=物質」は「何もナイ」というふうに訳すのは適切ではナイ。そうすると、直截に老荘思想と同化してしまうからだ。仏教における「空」は、老荘思想と似てはいるが、空間を示すのではなく、つまり空っぽをいうのではなく、物質と物質の結びつき、つまり関係(因縁)を示すと理解したほうが、般若心経も解きやすい。関係(因縁)は目にみえない。つまり「空」なのだ。従って「色即是空」は「物質は関係(因縁)によってしか成り立たない」と邦訳したほうがイイ。このような観点から「一から出直す」を問い直せば、それがno side「一切チャラ」ならば、「一切の関係をゼロにしたところから始める」というのが適切だ。数学的にも、ゼロ(0)は垂直軸と水平軸との交点だ。それ自体に実体はナイが、対称を結んでいる、関係させている点とかんがえられる。
以上、何がいいたいのかというと、「一から出直す」というのは、ほんとうは「関係を新たにして始める」ということだ、ということが、いいたいだけだ。「出直す」のではなく「始める」というのは、初期設定を変えるということになる。途上で初期設定が換えられることは、イアン・ブリゴジンらの研究による「散逸構造論」で、科学的根拠を与えられている。
マチガエれば初期設定から、また始めればイイ。それだけのことだ。

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