サドの答弁
マルキ・ド・サドは、バスティーユ牢獄に11年、コンシェルジュリーに1ヶ月、ビセートル病院(の刑務所)に3年、要塞に2年、サン・ラザール監獄に1年、そしてシャラントン精神病院に13年入れられた。サド文学は、たいていは牢獄で書かれたものだ。
ところで、牢獄に入れられたからには、裁判のようなものがあったはずだ。これに関しての資料がどこに残されているのかは明かにされていないが、一部のものは漏出していて、そこにオモシロイ裁判官(あるいは検事)とのやりとりがある。
検事「あなたは何故、悪徳が必要だと主張するのか。
サド「栄えるためにです。
検事「何故、悪徳は栄えねばならぬのか。
サド「栄えねば、美徳との区別がつきません。
検事「この世界で栄えているものは、すべて悪徳だというのか。
サド「そのとおりです。悪徳が栄えてこそ、美徳はこれと闘うことが出来ます。
検事「美徳は勝利するのか。
サド「常に勝利するのは悪徳です。というのも、勝利するほうを悪徳というからです。
検事「神は美徳ではないのか。
サド「神には善悪はありません。なぜなら、神は善悪を超越しているからです。善悪、悪徳と美徳を問題にしているのは人間だけです。
検事「おまえ自身は、悪徳のものか、美徳のものか。
サド「私もまた、その両方を超越しているものです。
もちろん、これは、神に対する侮辱の罪に該る。しかし、サドは、自らが神と同じだといいたかったワケではナイ。その両方、悪徳と美徳とを往来出来るものだと主張したように思われる。それは、正気と狂気を往来することにも通じる。私たちのような物書きは、あっち行ったり、こっちに還ってきたりする。もっとも、還ってこないひともときどきいるけど。
« おひさしぶりで | トップページ | 黒蜥蜴いや光と影 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- nostalgic narrative 58(2025.02.12)
- nostalgic narrative 57(2025.01.29)
- nostalgic narrative 33(2024.09.20)
- nostalgic narrative 27(2024.06.19)
- nostalgic narrative 26 (2024.06.09)