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2012年8月14日 (火)

2011のボディブロー

いわゆる3,11が関係するのかどうかはワカリマセンが、あのボディブローは、かなり効いたと思います。こういういい方は誤解を招くかも知れませんが、日本は、リングに倒れないように必死に立っているボクサーのようなもんだという気がします。それで、これからの連打をどうするか、懸命に思案しているかといえば、殆ど思考停止のような状態なんですね。たとえば、ついこないだ、韓国の大統領が竹島に突然上陸しましたね。あれなんかは、日本の政治家がいうところでは、単なるパフォーマンス、人気とりらしいんですが、たとえそうだとしても、果たして日本の大臣クラスのひとにそういうことが出来ますかね。立てるワケないですね。自分の足元すら磐石なんてことはなく、グラグラなんですから。竹島や尖閣列島のことを、未だに「領土問題」という。では、なぜ、あんなチッポケな島の領土が問題になるのか、国民はちっとも知らされない。おそらくは海底資源でしかナイんでしょうけど。「脱・反・原発」でデモが巻き起こっている。でも、私には、その向こう側で、東電の役員連中が薄ら笑いをしているのがみえてしまう。私は何回かいってきた。「原発に罪はあるのか」。ありゃあ、フランケンシュタイン・モンスターです。モンスターのほうは、造られちゃったんだから、映画を観ても哀れです。罪があるのはフランケンシュタイン博士の奢った科学でしょ。だから「脱・反・原発政策」でナイといけないんじゃナイでしょうか。「日本には資源がナイ」と、私たちは耳タコでいわれてきたワケです。私はそうかなあと思う。ほんとうは「日本には資源を捜す(開拓する)政策がナイ」んじゃないんでしょうか。
私は早起きで、午前6時過ぎには起きます。こないだは、喫茶店のモーニングが始まるまでに時間があったんで、近所の公園のベンチにいました。何人かのひとが通りすぎましたが、自分でも驚くことに「おはようございます」というのに勇気が要る。もちろん、向こうもいわない。向こうだって勇気がいるんでしょう。そこで、数人目かの犬の散歩のお爺さんに、思い切って「おはようございます」といってみた。そうしたら、向こうも「おはようございます」と返してくれた。大袈裟ないい方しますが、これが朝なんだよな、としみじみ思いました。ずいぶんと清々しい気分でした。なんで、朝の挨拶が出来ないのか。それは、私たちが互いに「警戒」しているからです。つまり「ひとをみたら泥棒と思え」ということです。一緒にするのはマチガイでしょうが、個人でもこうなんだから、国と国や民族と民族、人種と人種のことなんざ、批判出来ないですね。
昨日はSLOFT/Nのことを書きましたが、あれだけ書いても、「いやそうではナイ」という声が頭上から聞こえてきて、なにかこう、核心の確信がつかめない。ただ、これだけは思った。彼らはどこで沈黙するんだろう。つまり、コトバにならないコトバと向き合うのだろう。コトバなんてすらすら出てくるもんじゃナイことは、戯曲を書いていると、よくワカリマス。高橋源一郎さんが『非常時のことば』(朝日新聞出版)でうまいことをいっている。/コトバってのは、飛行機が飛ぶのと同じで、空気抵抗があって初めて飛行機が飛ぶように、何か、いいたいけど、うまくいえない、その抵抗があってこそ、何かいうことが出来るんだ。/これはそのとおりだと思います。私も私塾では、塾生には「いいたいことが書けるということはナイ」と教えますから。食うために「書く」ということを選んで、いまこのときは、良かったと思っています。ボディブローにはボディブローで、あるいは意表をつくカウンター狙いといくか、考えるところです。

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