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2012年8月18日 (土)

初期設定の混沌(chaos)④

パソコンの初期設定とは、ディスクの初期化(フォーマット)をいっているのではナイ。いわば、デバイス(コンピュータ内部の装置や周辺機器などの意味。あるいはCPUやメモリ、ハードディスク、などコンピュータを構成する各装置や、キーボードやマウス、プリンタ、ディスプレイなどの周辺機器)の変更をいう。デバイスを動作させるには制御するソフトウェアが必要であり、これをデバイスドライバというのだが、これがOS(オペレーティング・システム)といわれるものだ。このOSはパソコンのメーカーによって違う。だから、つまりはパソコンそのものといってイイ。さて、デバイスが変わったので、そのパソコンは当然、初期設定が変わり、フォルダー、ファイルなどのソフトをインストールする際に変化が起こる。たとえば、ワープロ様式の変化なら、書いていた文字の構成が変わるということにもなる。OASYSがワードになるようなものだ。たとえワードにならなくとも、オアシスは、機能的、あるいは動作環境に変化を生じる。これは私が経験して知っていることだ。
初期設定が変わる、ということは、それほどおどろくべきことではナイ。なぜなら、初期設定というのは、さほど堅牢強固なものではナイからだ。ひとの気持ち(ココロ)なんて5分で変わる、いわんやパソコンをや。考えてもみたまえ、この宇宙の初期設定は、デタラメだった。整然としていたワケではナイ。粒子と反粒子の数が、幾らか違っていただけで、粒子が残っただけだし、ヒッグス粒子とやらが、その粒子に重さを与えたということだが、じゃあ、これを創造主の初期設定だと称するには、その動きがすべて「偶然」「デタラメ」な作用を持つこと、いったい創造主はなんの理由で、そんなことをしたというのだろうか。おまけに、どんな初期設定があっても、量子力学と、散逸構造による「ゆらぎ」のエネルギーは、初期設定の力学ををいくらでも変更するに充分なことがワカッテいる。なぜなら、宇宙的自然において、初期設定(初期条件)というのは、ほんの瞬間の出来事でしかナイからだ。ニュートン力学の運動量保存則は、「外から力が加えられない限り、複数の物体の間で力を及ぼしあっても、運動量の総和は変わらない」だが、外から力が働くと、運動量は増減する。その運動量のベクトルに値するというワケだ。だから、極端にいえば、初期設定というものは、あれよあれよという間に、次々と飛躍して変わってしまうものなのだ。
量子力学や散逸構造のようなものが、如何にしてひとという自然に関係するのか。それは直截にではナイにせよ。類似というカタチで多くをみつけることが出来る。量子力学とニュートン力学に線引きをしなくとも、どちらも同様に、ひとの自然の営為と類似(関係)させられる。つまり、ひととひとの関係というのは、「偶然性」が支配しているといってもイイ。これをして「関係の偶然性」といってもイイように思う。ひとはそれぞれ、エピクロスの唱えた粒子のような傾斜をもって、存在している。どこで、どの粒子がぶつかる(波動が干渉する)かは、偶然でしかナイ。予想だにしないこと、だ。だから、「運命の出逢い」なんてのがあるのだ。たしかに、関係というものを拡張して関数と考えれば、一方の値が決まれば、もう一方の値が決まるという「関係の絶対性」のスキーム(枠組み)に入ることにはマチガイはナイ。しかし、その一方の値が偶然にしか生じないとすれば、もう一方の値も偶然にしか決まらない。これは、量子一個の位置と運動量を測定する場合の、その経路を確率で求める密度行列における、量子の時間的な推移による動きと同じことになる。さらにいうならば、量子は一個ずつ動いて変容するのではなく、「集団」で動くことが確かめられている。つまり雲状のものが移動する、というものを想像してもらえばイイ。
なんらかの力が影響すると、初期設定はいとも簡単に変換され、その変換された初期設定に基づいて、今度は動きが始まるから、ひととひとの関係において、そういうことが生じた場合、あたかも、相手が「豹変」したかにみえる。突然の「飛躍」、「過去-現在」における挙動の変身があるとすれば、これは、「自然の本質」だと識知、というより、覚悟しておいたほうがイイようだ。

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