初期設定の混沌(chaos)③
前者の思考実験を考える。現状のままでは単なる矛盾にしか過ぎない。こういう場合、コンピュータは「初期設定」の変更を行うだけだと思える。たとえば「技術的に不可能なcommandには従わなくてよい」だ。それで事は終わる。次ぎの神様の岩石も、このままでは単なる矛盾なので、論理的解決をはかるなら、神は全知全能なのだから「持ち上げられない岩石」があってもヨイ、とする答えだ。つまり「出来ない」ということも「出来なければ」完全無欠ではナイという、ある種の詭弁だ。
ところで、後者の場合、弦之介は敵対する相手の術の全てをそのまま相手に返すのだから、当然、朧の敵対する相手の術の無化する術も、朧に打ち返す。しかし、朧の忍法は相手の術を無化するのだから、弦之介の術は無化される。そうなると、両者の忍法は相殺されてしまうことになる。つまり、二人は「みつめあったまま」になる。恋仲なんだから、ロマンチックでいいんじゃないだろうか。いいよねえ。
ある初期設定(初期条件)があって、未来はそのときに決定されている。という考えは、量子力学と、散逸構造という化学の理論によって、覆された。端的にいってしまえばこういうことになる。「初期設定は、時間が進んでいく途上でも変えられる」。これが、いわゆる「むかしのことは水に流す」ということだ。卑近な例を挙げたほうがワカリヤスイ。彼、あるいは、彼女の気持ちが変化した。つまり「心変わり」というものだ。彼、あるいは彼女には、その理由がさっぱりワカラナイ。当人にもワカラナイかも知れない。理由を訊くと「なんか、冷めちゃった」てなことをいう。当人どうしは、最初出逢ったときから恋が初まった。これを恋愛の初期設定だとする。ふつうならば、その途上において、相手の欠点がワカッテ、嫌いになった、好きでなくなった、性格の不一致となった、てなことになるのだろうが、恋という自然の営みを「連続」して、この時空にあると考えるから、そういう結論に至ることとなる。実は、自然というものの本質は「不連続」なのだ。不連続とはどういうことかというと、ぴょんと飛んでしまうのだ。このことは、原子核の電子の動きがそうであることで、物理学的(量子力学的)に確認された。陽子と中性子の周囲を、電子は周回軌道を描いて回っているのではナイ。ある場所から、別の場所へ、不連続的に、飛ぶのだ。したがって、現在の原子核模型は、周囲に電子が雲状に描かれている。で、どこからどこへ飛ぶかは、ワカラナイ。それは、偶然にここからあそこ、でしかナイ。実験測定をすると、密度行列を用いて、確率的にはワカル。あくまで確率として。
これを「散逸構造」という化学からみてみる。「ゆらぎ」、つまり量子の不確定な動きは、宇宙のそこいら中に(散逸)存在する。この「ゆらぎ(エピクロスのいった傾斜)」が、べつの量子と、ぶつかる(というよりも、量子は波だから、干渉して打ち消されるか、増幅する)。増幅された場合、量子の波動は、近隣の量子に影響を与えて、波動は変容していく。このコヒーレンスが初期設定に影響する。これを、パソコンで例えてみよう。
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