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2012年8月18日 (土)

初期設定の混沌(chaos)②

しかし、この決定論を変えた発見と研究は、量子力学と、それを応用したITという最先端テクノロジーと、イアン・ブリゴジンたちの化学「散逸構造論」だった。初期設定における決定論を変えるというのは、未来を変えるというだけではナイ。過去も変えてしまう。つまり、「現在」というベクトルは、未来と過去の双方向に向けて存在するということになる。もちろん、哲学もそのことには気づいていた。アリストテレス哲学に引導を渡すためにだ。そういう哲学が端緒にみられるのは、キェルケゴールやハイデガーの実存主義哲学なのだが、ここでは、哲学もまたようやくにして、数千年の栄華を誇ったアリストテレスを打倒するに至ったワケだ。ハイデガーの未完の大著、「存在と時間」がなぜ「存在」と「時間」なのか。物理学においては「時間の矢」というコトバのあるように、時間は未来に向けてしか進まない。が、しかし、これは私の突飛な思考でしかナイのだが、その時間の矢が飛んでいる空間が、時間の矢よりも速く、時間の矢の方向に移動(動いたら)したら、どうなるだろう。時間の矢は、その空間の過去を飛んでいることになる。まあ、これはこれで、妄想と思っていただければイイ。
木田元さんのエスコートで、元さんのハイデガー講座を読みながら、難しいことは一知半解としても、ハイデガーが拘っているものは何なのか、私に誤読出来たのは、人間の存在が所有する「時間」と自然の「時間」は違うという、論理だった。ハイデガーの実存主義の key word のようになっている「頽落」などという倫理は、私にとってはどうでもイイものだ。むしろ、あの観点は通俗だとさへ感じている。私はともかくも、ハイデガーが、「人間とは変わることの出来る存在だ」と主張していることに興味を持つ。その根拠になる、その原点、起爆剤になるのが「反復」という概念だ。このあたりは、このブログでも何度も書いたので端折ってしまうが、たとえば私たちは日常でも、過去というものが変えられるということをコトバの上でだけなら知っている。「むかしのことは、水に流そう」「過去なんか忘れてしまえばいいんだよ」「過去は書き換えることが出来る」「he is not he was.(彼はむかしの彼ならず)」「あなたの過去など知りたくないわ、すんでしまったことなど、どうでもいいじゃないの」。あるいは、刑法の制度における実刑の懲罰にある懲役刑は、オツトメをすましたら、その人間の罪は消えることになっている。現実は前科がつくから、それほど甘くはナイだろうが、いわゆるこれを「彼(受刑者)は更生した。立ち直った」というふうに考える。つまり、過去が消えるのだ。「現在」が変わったということは、過去もまた帳消しになったということだ。「現在」によって過去を変えてしまったということになる。(半畳入るわな。だから、現実は前科もんになって、そうはうまくいきませんヨっていってるだろうが。あたしゃ、理屈、論理をいってるのよ)
ところが、前述したように、昨今の理論物理学(あるいは化学)、量子力学からIT電子産業においては、この初期設定(つまり過去の出発点ですな)が変えられることが立証されるようになった。
たとえば、オモシロイ思考実験をしてみよう。壊れることが絶対にない、完全に正確なコンピュータの演算によって、A地点から同距離にある対象物BとCを設置する。そこで、そのコンピュータに、A地点から、どちらか近いほうの対象物を破壊するか、それが不可能であれば自らのCPUを破壊するようにcommandする。これは、まず「神」に如何なることがあっても持ち上げられない岩石を造らせて、「神」にそれを持ち上げてもらおう、という試みと同じことだ。さて、この結果はどうなるだろう。もう一つオモシロイことを考えたので、思考実験してみる。山田風太郎の『甲賀忍法帳』では、甲賀弾正の孫弦之介と伊賀組の頭目お幻の孫娘朧は、敵対するが恋仲だ。で、弦之介の忍法は、その眼力で、相手の忍法をことごとく相手にはね返すことが出来る。朧の忍法は、その眼力で、相手の忍法を完璧に無力化することが出来る。この二人が、対決して、自分の忍法を用いた場合、どういう結果になるのだろうか。

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