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2012年7月27日 (金)

いつか最後の夏が

仕事場の温度計は30℃を微動だにしない。昨日もそうだった。エアコンをつけているのだが、これだ。しばらく書き仕事をすると、暑くて、休憩ということになる。昨夜はつまらないことに拘ってオモシロクなかったので、一カ月ぶりに水割りを飲んだ。そうしたらどうだ、10時に寝たのだが、4時頃に気持ちが悪くなってきた。二日酔いの症状だ。たった二杯だったが、アルコールというのはひでえもんだなと、今日からはまた飲まないことにした。6時すぎに起きたが、もう陽ざしが暑い。名古屋の予想最高気温は36℃だそうだ。殆ど体温だ。つまり、ひとと密着しているのと同じということになる。
幾つか書いている小説のつづきを書く。今日はそういう余裕がある。水曜日までは、破竹の勢いで目がみえるうちにと、戯曲を書いていた。そいつに今日は少々手を入れて、売るアテもナイ小説だ。
釈迦は「愛」というものも「苦しみ」の中に入れた。キリスト教とはまったく反対だ。人間のことにおいては、釈迦は少なくとも聖書の作者よりは現実に通じていたようだ。愛は憎しみにとって変わる。漱石の『草枕』を読んでから、私は愛というコトバは使わないことにしてこれを「人情」というコトバに置き換えた。これで充分だと思う。このほうが日本人にとっては理解しやすいのではなかろうか、と思う。ただし、人情も5分もすれば変わってしまう。他の変わり方だってある。たとえば、人情で、他人に銭でもなんでも(銭がワカリヤスイからそうしておくが)1万円ほど与えたとする。貰ったほうは「私は乞食じゃナイっ」などと憤るかも知れない。しかし、1億円与えたらどうなる。やはり「私は乞食じゃナイっ」といえるだろうか。くだらねえ、と思う。1万円なら、乞食。1億円なら、貰えるものなら頂く。どうだ、そうじゃナイのか。だから、人情よりも「義理」だ。「義」と「理」なんだから。
温度計はびくともしない。しかし、いつか最後の夏は来るだろう。「ひでえ暑さだ」が変わる。「これで夏は終わりか」に。人情というものもそういうものだ。

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