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2012年6月 9日 (土)

SLOFT/N稽古日誌・5

情況(シチュエーション)を演技に取り入れる(含める)ことがなければ、役作りなどやっても意味がナイ、と述べたので、この日、早速、稽古の前に、演出担当から「では、情況を整理して、統一しておきたいと思います」という事柄が述べられた。「まず、タクラマカン沙漠の昼間の温度ですが、30度くらいだそうです。夜は、かなり下がるとしかナイので、どうしましょう、何度くらいにしましょう。3度、4度かな」。ここで、何度にするかが検討された。要するに演出担当を含め、このひとたちは、「情況」というものと「情報」というものの区別が出来ていない、というか、「情況」を場所の環境と勘違いしているのだ。私のいう情況は、劇の情況だ。今回はミステリ劇なので、そうしたミステリ劇としての情況だということはいうまでもナイ。このトンチンカンでアンポンタンについては、演出担当に詳細にメールを送っておいた。演出担当は、当日も心理的な演技指導を繰り返す。私の考えでは、役の心理などというものは、まったくどうでもイイことだ。「一度、心理を模索する演技指導から離れなさい」とも書き送った。「いつまでたっても、芝居がミステリになってきません」とも苦言を述べた。これは演出担当の能力の問題ではナイような気がする。単に、「人間というものを知らない」「ミステリというものを知らない」という無知からきている。役の心理というものは、演出担当の側にありさへすれば足りる。演出担当のレベルに合わそうと腐心している役者にとっては、ただの迷惑でしかない。こう動け、こう語れと、ダメだし(のようなもの)が出される。しかし、それによってどう作用(効果)に変化が起こるのかを演出担当は、明確にしない。また、役者も、何がどう変わったのかがワカラナイ。あくまで演出担当自身がやるなら、という基準しかナイからだ。役者はまあ、なんとなく、どっちでもいいかというふうに従っている。おそらくこういう現象(事象・事態)は、この現場だけではなく、さまざまな演劇現場(名古屋のといってもイイ)で起きているだろう。とはいえ、そんなことに暗澹としている時間の余裕は、もう私にはナイ。私は私のプランどおりのことだけをやるのみだ。

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