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2012年6月10日 (日)

フクシマ以降

この国はフクシマ以降、被災者というコトバをつくって、被災者とそうでナイものがいるかのように、まるでゴミの分別作業のようなことをやってのけた。同じように被災地というコトバをつくって、被災したある地域が存在するかのように脳裏に地図をつくった。被災地はこの日本全土だということが、そのとき、自分たちの周囲から遠い、対岸の火事、蚊帳の外になった。かつて被爆者というものがあり、それはいまもあるのだが、そうでナイものがあるかのように、他人のことは他人、ともかく、絆とだけいっていようよと結託だけはして、テレビから流れるオウム事件の手配犯の性生活とやらに、売るものがあってよかったんじゃないのと、ハイボールを傾けている、そのさなか、ほんの一部の真実を背負うものが、骨身を削って苦しい闘いをつづけている。「原発の再稼働、必要ならやればいいじゃないですか。私は私に出来ることだけしか出来ャしねえんだから」と、目を伏せつつ。
この世の中に完全なものなどナイ。それは完全にナイ。また万能もナイ。神の全知全能を崩すのには、数学の不可能パズルを一つ、たとえば、ケーニヒスベルクの七つの橋問題を差し出せばすむことだ。その解の不可能は、天才数学者レオンハルト・オイラーによって証明されている。神もまた、この橋をルールの上で渡り切ることは不可能なのだ。
スペース・シャトルが飛行するさい、離陸に至るまで綿密な部品の点検が行われる。部品の精度が99,9999%であっても、打ち上げは延期される。部品の数がそれを上回っているので、何処かで不備が出る。従って部品の精度は100%が要求される。それでも、シャトルは、事故を起こして落下した。
原発に100%の完全な部品を用いることが出来たとする。原発自体には問題はナイ。再稼働しても不具合はナイ。どの原発もその程度の完全さは持っている。はずだった。フクシマまでは。しかし、原発はフクシマの事故から、「フクシマ以降」に移った。再稼働する原発の社員、現場職員は、「少なくとも」フクシマ以降を稼働していることについて、万全の責務でこれを真っ当するだろう。そう信じなければ話にならない。稼働させているのも私たちと同じ日本国民なのだから。日本国民、そういう語彙の響きが気に食わないのなら、国民、人間でもイイ。ところで、数千個あるかも知れないという、直系100メートル前後の隕石が、原発(を直撃しなくとも)の付近、海でも山でも、その町のどこかにでも落ちたとする。マグニチュード20前後(1あがるたびに、30倍になる)の地震に耐えられる原発はナイ。そんなSFのような、バカバカしい、と一笑に付すのは簡単だ。しかしツングースにも落ちたし、恐竜絶滅の最有力の原因が隕石だ。計算の確率では、数百年に一個は落ちる。直径10メートル以内のものなら、毎日落ちている。こいつは大気圏で燃え尽きて流星になるが。さて、こういう不慮の事故まで「想定」して、原発を稼働させるか。こんなことは「想定」出来ないが、科学者、マスコミ、そうしてもっとも重要な政府の対応は、逐一、私たちは「想定」ではなくその「実態」を観てきた。原発を再稼働させるかどうかを論議する前に、それらの無能さを議論すべきところからしか、「フクシマ以降」ははじまらないのではないか。

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