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2012年5月 3日 (木)

tea break 『内角の和』を御馳走になる・7

/困難とはつねに自分のうちにしかないということを自覚する以外、俳優への道はない。教えてやろうとするはったりも、教わろうという根性も、演劇の世界にあってはいずれにしろ不毛なことなのだ。/(同)
小銭稼ぎにワークショップを催したりしている駄演劇屋や、私も他人(観客)を感動させる俳優になりたいなどと夢見ている甘ちゃんには耳の痛いところだ。ところで、俳優の道というものがもしもあるとして、それがいつまで、どこまで続いているものなのかは、何の保証もナイ。私がまだ劇団というものに従事していた頃、二十歳のときに東京の某劇団研究所から名古屋の我が劇団に身を寄せて、三十歳になるまでの10年間女優を営んだ者があった。彼女が、三十歳で一応のピリオドを打つということをいつ決めたのかは知らぬが、実に潔い営為だと感服した。その10年間に彼女が女優として、劇団のレパートリーに残してくれた功績は多大なものがあり、いくら感謝しても足らない。私は彼女に何を教えたというワケでもなく、彼女も私に何を教わりたかったのか、私自身知らない。ただ、私が学んだことは、劇作家・演出者の私と、演技者の彼女とのあいだの演劇という行為に対する信頼だ。スズキ氏には白石加代子という、スズキ氏の演技論を体現するに匹敵する恐るべき女優がいたが(といって、私は舞台を観たことはないんですが)演技の実力は比較するに及ばないとして、構造としては、似たようなもので、私のホンを初見で正確に読めたのは彼女だけだ。(いまでは、avecビーズの女優たちが、ちょうど、そんなふうです)。彼女の場合、白石加代子のように異形の者とは対極にあって、ただ静かに舞台に浸透していくというスタイルだったが、女優というものは、日常では、その技力はワカラナイものだということも、私は学んだ。彼女はドーナツショップでしかアルバイトをしなかったのだが、その理由たるや、ある価格までは無料でドーナツが食べられるという、それだけのものだった。差し入れにあるお菓子など、何を食っても不味いといったことがナイ。大感激で「おいし~い」を連発するのだった。ところが、私の戯曲を読み合わせするや、ふだんのバカがどう消えるのか、その身体は私のイマージュした身体になりおおせるのだ。私は一度、意地悪く、とうてい彼女には困難な男性のキャラクター(しかも酔どれの詩人という役だ)を要求したが、これまた読めない漢字を訊きにきただけで、あっという間に舞台で跳ねながら(そう、歩くのではなく、彼女はぴょんぴょんと跳ねたのだ)詩を謡して横切って去った。それは自己に自己が憑依するという手順を、ある自動航行装置のようにしてもっているかのようで、その困難な痕跡もみせずに、女性週刊誌でも読むかのような運動量で、かと思えば、わずか20分の短編戯曲でチェロを弾くシーンが冒頭にあるため、それだけのために毎晩居残りで遅くまでチェロを練習し、触ったこともナイ楽器を弾いてみせるのだった。私はどうように、関西にもそういう天才女優の在ることをを知っている。その女優もまた、舞台を降りると、徹夜あけのごとき面相になり、何を考えているのやらぼうっとしていて、居酒屋では、ただのオヤジになってしまう飲み方で、ぐうたらこの上なく、いったい、彼女たちの変身スイッチは奈辺にあるのか、何処で如何にして、演ずる、演技するという困難さを組伏してきたのか、あるいは、そんなことは彼女たちにとってワケもナイこと、必要もナイことだったのか、ともかくは演技者というものがことごとくかのようであったなら、確かに演技論などというものは不要な理論だなあと、ときおり、自身に徒労感を覚えないこともない。

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