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2012年5月 7日 (月)

『現代詩手帖』5月号、追悼総頁特集・吉本隆明 を読む

読んだ。いっとう最初に舌を打ったのは、吉本さんも死んだタイミングが悪かったナアという、治まりの悪さだ。週刊新潮だったかで、インタビューがあったのは知っていたが、私は読まなかった。吉本さんが、原発事故に対してどういうかなどは、ワカッテいたからだ。だから、それはもういいじゃないかと思った。それ以上、私もまた何もいうことはナイ。「鼎談」として、岡井隆×北川透×野村喜和夫、「討議」として、橋爪大三郎×瀬尾育生×水無田気流、「対話」として齋藤愼爾×勢古浩爾、「鼎談」の旦那衆はなんだかもう、古臭えなあという気がして(根拠はナイのだが)辛気臭かった。「討議」は、いやもう御三方、大人でいらっしゃって、奇麗どころもいて、いい酒飲みながら話してらっしゃるなという、気分のイイものだった。「対話」は、最も通夜の晩のしみじみさがあって、好感がもてた。流山児が笑ったという、ぬりかべ高取英氏の追悼も読んだ。要するに「イロモノ」だったな。山崎哲チャンの追悼は、根っからの吉本エピゴーネンの悲しみが滔々と伝わってきて、さすがに、演劇という業界に(その先達に)吉本隆明を伝導してきたひとはチガウなと、感じ入った。
私も先だって、とあるところからインタビューを受けたが、「けっきょく吉本隆明は何をやろうとしていたのか」には、たぶん、日本人とは何かという根源的な問いかけがあるんじゃないですかと答え、「これから吉本思想はどうなると思うか」という質問に、吉本さんというのは独特の「詩的論理」と「吉本視線」という二つのベクトルの合力、乃至はその変容で存在したものだから、たまたま私は演劇をやっていたので、『言語美』と『心的現象論』に影響を受けたワケで、その応用を試みているが、おそらく似たようなカタチで継承されるのではないかと、答えておいた。私は『共同幻想論』はあまり興味がなく、資料としての『遠野物語』を読んで、共同幻想とはこういうものかと、こんなふうに『遠野物語』が読めるのかと、そっちにやや興奮した記憶がある。もちろん、私は国家が共同幻想だとはそのラインからして思ってはいない。国家というのはいわば、共同幻想の疎外としての存在だ。トークイベントでご一緒したとき(吉本さん69歳)、「あなたと私は資質が似ているねえ」といわれて内心、欣喜雀躍、しかし、どの資質かなと考えてみるに、当初は太宰治と宮沢賢治が好きなことが一緒なのかなと思っていたが、つい最近購入した勢古さんの著作『最後の吉本隆明』を読んで、ああ、そうか、吉本さんは、私の中にちゃんと「暗さ」というものを、しかも、その「暗さ」が形成されたのが少年時代であろうことを見抜いてらしたんだなあと、納得がいった。失礼ないい方だが、娯楽として読むには、ぬりかべ高取氏の文中にもあった、三バカとの論争がイチバン面白かった。(私は竹中労さんは好きだったし、平岡正明のセンスも買っていた)。山崎哲チャンは吉本エピゴーネンだが、私は吉本学派でもテキ屋の劣等生で、『心的現象論・序説』を読むのに十年、三回もチャレンジしている。おそらく鈴木忠志氏に吉本さんを教えたのも哲チャンだろうと思う。『内角の和』は随所にその影響がみられたから。私は吉本さんのような長生きと、ふつうの暮らしは無理だから、早々と店仕舞いのために日々、あれこれ費やして生き抜いているだけに過ぎない。

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