春の日はかくの如し
階下から品のないクシャミが三連発。昼飯にいろいろ迷ったあげく、けっきょく蕎麦と握り飯を買い求め、いつものfood terraceに陣取ってみれば、本日は日曜で満員の盛況。老夫婦がアイスクリームを手に席をお捜しのようだったので、席を割って(四人がけの席を二つにして)どうぞと、一言。午前中は31(サーティワン)アイスクリームが、東日本大震災募金に協力の人々に無料でアイスクリームを進呈とやらで、大賑わい。こうなってくると、震災に対して何をしてらっしゃるのかワカラナクなる。つまり、震災はかっこうの宣伝材料となる。ミスドのブレンドコーヒーを、これもいつものごとく飲み終えて、外の喫煙所でいっぷくして帰宅、椅子にもたれると、クシャミが聞こえたのだ。
たぶん、と、思う。どんなに偉い女性作家でも、評論家でも詩人でも、あんなふうにクシャミされるのだろう。ひとり暮らしのよきところ、ドアを開けたまま糞が出来る。何処でもタバコが喫える。喇叭のごとき屁を遠慮なくひることが出来る。いわゆる品のナイことがたいていは出来る。そこで邪な私は思う。品のナイ愛というのは在るのだろうか、と。だいたい愛は品があり過ぎて、こそ、私には理解不能のものではなかろうか、と。
演劇を手にしたとき、ああ、これで私は一生生きていける。死なずにすんだ。こんな楽しいオモチャがあるだろうかと、そのエロスを慈しんだ。しかし、それも束の間、演劇(私の場合は戯曲)が銭になりだしてからいうもの、これがためにツライ日々が待っていた。救いだったのは一つだけ。家庭という場所から抜け出して、仕事場用に借りた一間のアパートで、書き物をする時間。このとき書かれた作品が、私の劇団用に書かれた主だったものだ。ツライといえど、じゃあ、辞めましょうというところにはもう私の立場はなかった。ただ、如何にしてあの楽しかったオモチャの日々をとり戻すか。目標はそれだけ。人生を棒に振ってもイイと思い、人生のほうから棒に振られたことについては悔やみはナイ。せめて一太刀報いんと、それだけの闘いだった。
とはいえ、思うに、私に最後まで随伴してくれたのは、やはり演劇だけだった。四面楚歌なる故郷の楚の歌声に、一夜にして兵士が逃げ去った『史記』の話は有名だが、かほどまでに自死の条件が整っていながら、それに至らないのは、やはり私にまだ書くことの楽しみが残されているからでしかナイ。終にパンドラの函に最後に残ったのが演劇だったということだ。たしかに、私はこの「悲しき玩具」でまだ遊べるのだ。そう苦笑するとき、ふと思うのは、いまの若いひとが、あまり楽しい顔で芝居をしないことだ。私は不真面目に舞台に取り組めなどといっているのではナイ。たしかに演劇は「悲しき玩具」だ。遊び方が難しい。しかし、ほんとに悲しくなってはいけない。また、群れることだけに充実するというのも大間違いだ。その身体は自分のものだ。その身体は自分の玩具だ。その玩具は二十歳のときは二十歳のきみだが、四十歳のときは四十歳のきみだ。しかし、その身体の、記憶、は、六十歳になっても16歳のアポリアを憶えている貴重なものなのだ。「遊びをせんとや生れけむ、戯(たわぶ)れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆるが)るれ」( 『梁塵秘抄』巻第二・四句神歌)
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