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2012年5月 5日 (土)

闘争と逃走

膝半月板断裂が、縫合程度の手術では間に合わず、全摘出になるということで、リスクのほうが大きい、demeritに過ぎるという、大病院の診察の結果をもって、ともかくデスクワークであるならば、よほど動かなくなるか、痛さの限界が来るまで、現状治療のままがいいという進言もその医師からあったのだが、当方としてみれば、ただ、机に座って仕事をしていれば、お茶も飯も出てくるワケではなく、家事一切をやっている独居の身、とはいえ、いま以上の弊害は避けたほうが無難と判断して、とりやめにした。その結果、心身に壊れた部分がまた一つ増えることになった。つまり、身体的にやや不自由にはなった。これが若い身ならば、苦吟もしたろうが、今年還暦を迎える年齢にとっては、何を厭うことでもなく、職業として、毎度行くスーパーでみかける高齢者の労働のようなものは、もはや不可能となり、カレー屋への転職もアヤシイこととなり、ますます、籠もりきりの仕事で生きるしかなくなったが、とはいえ、逆に役者というものも、制限内ではやれぬこともナイだろう、むしろ、この制限内で出来る役者として舞台に立つのも一興とさへ思っている。そう考えると、日常的に身体意識に疎い健常者よりも、神戸浩のように、常に自身の身体を識知してこなければならなかった肉体に近いような気がして、満更でもナイのだ。
『現代詩手帖』五月号は総頁吉本さんの追悼に充てられて、いささか急なつくりだなという感、なきにしもあらずだが、その雑誌を手にして、やっと、というべきか、吉本さんの死の実感がやって来た。内容についての感想はまたあらためて書いてみようと思うが、かなり前、吉本さんがミシェル・フーコー氏と対談された際の収録書籍『世界認識の方法』(中央公論社・・・このホンは通訳を通じているため誤訳が多いのではないかと指摘を受けているのに、どういうワケか、当時の録音原盤が残されていない)で、フーコー氏が発した「マルクスの階級闘争の階級はワカルが、問題とすべき闘争に対しては、その戦略がはっきりとワカラナイ」という発言に対して、吉本さんは「フーコーさんのいわれる階級闘争という場合の闘争というものの目標を、どこに置くべきかを現実的に設定した場合には、その闘争は必ず世界からまったく孤立せざるをえないという形でしか行われないと思います」と、毅然と応えている。こちとらは、闘争ではなく逃走の体での毎日だが、やっと、世間の胡散臭いヤカラから逃走という大義名分でもって、銭の切れ目が命の切れ目とだけ覚悟していればいい生活が出来るということに結果的にかなってしまって、ひどいときは分刻みでおとずれる、両極性の躁鬱病とつきあいながら、次第に、というか、ああ、やっぱりくだらねえ野郎はくだらねえなと、あらためて実感したり、いまの若いひとも、満更すてたものではナイなとも感心と関心をもって暮らしている。
昨夜は、急に柄本明さんから「今夜、名古屋なんだけど、飯どう」と電話があったので、SLOFT/Nの演出勉強中の若者を呼び出して随伴させ、東急ホテル近隣の居酒屋『くらや』で話し込んだら3時間、あっという間だった。こんなに柄本さんと話をすることはなかったことで、たいへん貴重で楽しい時間だった。まったく果報は寝てまてだ。

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