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2012年5月

2012年5月20日 (日)

Synchronicityの悪戯

伊丹想流私塾卒業公演を終えて、新大阪に着き、新幹線の乗り場へとプラットホームのエスカレーターを上がるとき、私はときおりやっている一種の悪戯をやってみた。関西、名古屋と東京とではまったく逆らしいが、エスカレーターの右に歩かないひとが並び、左は歩くひと、走るひとのために一列空いている。もちろん、エスカレーターのある場所には、いたるところに「歩かないでください」「走らないでください」という掲示がしてある。ただ、暗黙の了解で、右の列はじっとしていて、エスカレーターの動くままに昇り、左は、歩き、走り、中には駆け上がる者もある。私はそこで、空いているほうに陣取って、歩きもせず、じっと、エスカレーターの動きに身を任せるのだ。もちろん、掲示を遵守しているのは私のほうだ。しかし、これはずいぶんな意地悪にとれる。私の後ろに並んだひとは、歩けるはずが、止まっていなければならない。しかし、いつかは文句をいうヤツが現れるだろう、そうしたら、そいつといっちょヤッテやろうという、aggressiveの捌け口をわざとつくっているのだ。で、今日、そういうのが現れて、私を掻き分けながら「どっち側で止まってんだよ」と、コトバを浴びせて走り抜けたヤロウがいたので、ここぞとばかりに「てめえ、エスカレーターは走っちゃいけんと、いわれとろうがっ」と、急に広島ヤクザになって一喝し、後を追って引きずり下ろしてやろうと思った、途端、「いや、ここでおれが走ると、同じことになるな、上がってからでいいか」と、そこは我慢して、上がってからそやつを捜したがみつからない。ここんとこ、疲れて、血圧は上がりっぱなしだし、微熱もつづいていたので、もう面倒くさくなって、新幹線に乗った。で、名古屋、それからバス停のある最寄りの駅で降りて、バスの時間が15分以内なら、バスを待ち、それ以上なら、流しの車をひろうという寸法なのだが、そこで、一服、タバコ(ではナイんだけど、ね。一応、喉の薬なんだけど)をくゆらし始めると、話し方ですぐにワカッタが、狂気ではナイが知遅性の少年(15~6歳くらいかなあ)が、何処から現れたのか、声をかけてきた。「ここはタバコは吸ってはイケナイところです」。私も、すぐにやめれば良かったのだが、ついつい悪戯ゴコロで、ちょっと試してみたい気になり、「それは吸殻を棄てるなということではナイのか」と問うた。すると「バス停ではタバコを吸ってはいけないんです」となおも少年はいう。「では、どれくらい離れればいいのだろう」と私がさらに訊くと、「10メートルくらいです」という。この10メートルという距離の根拠は、ただ、彼にとってずいぶん[遠い]ということしか示してはいない、つまり具体的な距離ではナイ。そこで「じゃあ、あの柵の向こうでならいいんだろうか」というと「柵の向こうもバス停だからダメです」という。そりゃあまあ、そこは駅前のバス・ターミナルだから、どこもかしこもバス停であるには違いない。そこで「よし、わかった、きみが正しい」と、私は引いたが、彼はなおも、バス停に張られた禁煙マークを指さして「ここでは、ひとの迷惑になるからタバコを吸ってはいけないんです」と、トドメを刺さんばかりにいう。このとき、私は、新大阪での自分の悪戯を思い出していた。つまり、まるで逆の立場に置かれているような気がして、かつ、それが殆ど時を経ずに起こったというシンクロニシティを面白がったのだが、と同時に、それとはべつの、ある疑義もやってきた。私がふいに疑義に感じたものというのは、いま、公衆道徳について、おそらく教育で刷り込まれた通りに語っているこの知遅性の少年は、発することの困難な、心的な身体生理から生まれるコトバを、どのうように制御しているのだろうか、という疑問だ。ひょっとすると、この少年は、教育の刷り込みによって、あるコミュニケーションとしての言語は教えられているが、内在する沈黙の言語の扱い方については、まったく不必要なものとされているのではないだろうか。このとき私が「大愚などは何も価値あるものではナイ」と感じたのは、悔しまぎれではナイような気がする。

2012年5月18日 (金)

ある幸福論

談志家元と、『ドラえもん』の藤本先生に共通していえることが一つある。どちらも奥様の、ある特殊性に恵まれたことだ。家元の場合は、何かの仕事でひょいと訪れた会社の受付嬢に一目惚れして、すぐ求婚。めでたく添われたワケだが、この奥様は、家元にいわせると、落語にはまったく興味がなかったそうだ。落語の「ら」の字も知らずに、また知ろうともせずに、夫婦だったのだから、これは家元にとっては理想のひととしかいいようがない。不眠症で気を病んでいる家元に、睡眠導入剤を「はい」と渡され「これ飲んで、一杯やったら」といわれたそうだから、もはや、この上ナシ。藤本先生のほうの奥様も、藤本先生の描くマンガには興味はなく、子供たちに「パパは絵が上手だねえ」とおっしゃってたらしい。これまたサイコーなんじゃないか。
その点でいえば、吉本さんが幸福だったとは必ずしもいえない気がする。『さよなら吉本隆明』(文芸別冊)の、ばななさんのツイッターを読むと、とめどない涙が流れるのは、悲しみからではナイ。吉本さんも、臨終のときは、幸福だったんだなという安堵感からだ。
私は、リアルタイムで『試行』の「情況への発言」は読んできたが、その中で最も「恐ろしい」と感じた発言がある。1973年9月のもので、そこには/・・・わたしのからめ手からの辛らつな批判者によれば(これは奥様のことだろう、もちろん、引用者:注)<あなたは、どんなに優しくしてくれたって、家事やすい事をやってくれたって、まったく手のかからない男だったって、ほんとうはたいていのことは、どうでもいいと思っているのよ(略)わたしだって自殺したいところだけど、他人がみれば、どうしたって、わたしが悪いということになるのがしゃくだからねえ>、さらに<あなたは他人に寛大でゆるしているようにみえながら、あるところまでくると、他人には唐突としか思えないような撥ねつけ方をするよ。決してその都度、わたしは、そういうことは好きでないとか、いやだからよしてくれとは言わずに、ぎりぎりの限度まで黙っていて、限度へきてから、一ぺんに復元しないような撥ねつけ方をするよ>/とある。当時、私は21歳だったが、ここでは、私自身のことをいわれているような気がして戦慄した記憶がある。
私は若気の至りのクソみたいな意地で、ともかく最初の奥様の元彼とのあいだの子供を18歳までは育てることにして、はい、サヨウナラだったから、殆ど無一文で二番目の奥様になる女性の公営アパートに転がり込んだときは、肩の荷を下ろしたようで、これでもう、おれは解放されたという安堵感が充溢していた。この前妻さんとは20年連れ添ったことになるが、そのうちの15年間は、私の人生の宝物のような15年間だった。
前妻さんがあるとき、食器の卸問屋にパートで働きに行き(と、いって生活に困っていたワケではナイ)、そこの他のパートの主婦の悪口はさんざん毎日聞かされたが、「私はあんなバカな主婦にはなりたくないから」と、放送大学に入学して、勉強を始めたときは、私には、このひととも別れる羽目になるなという破局の予感がした。予測を持ったというべきかも知れない。ひとが知恵をつけたいと思うのは自然のprocessだから止めようがナイ。それは、新鮮な朝陽に、夕べに沈む黄金色の夕陽にどこまでも近寄っていこうという行為と同じで、近寄ってみると焼けて灰になるだけなのだが、止めようがナイものだ。冷たく輝く月光の源、青白き詩的天体、月に近寄っていきたいと願って、そうして、近寄っていくと、凍って砕けるだけなのだが、これも止めようがナイ。だから、私は沈黙したままだったが、ほんとうは「それは違うよ」といえば良かったのだろう。とはいえ、60年近く生きて、そのうち15年もの宝物のような歳月があったのだから、私はそれで充分、幸福だったに違いない。

2012年5月14日 (月)

映画を観る『夢二』

鈴木清順監督の『浪漫三部作』のこれだけ観落としていたので、シネマテークで観ましたわ。三部作の中では、これがいちばんイイと私しゃ思います。これは田中陽造さんのオリジナル脚本で、『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』はそれぞれ原作があります。つまり、これぞ、田中陽造さんの筆の冴えです。一般的評価は前二作のほうが高いんですが、私しゃ、これです。清順美学の加速度が、陽造さんのナビゲートの効いたベクトルに実にうまくコントロールされていきます。ぐいぐい乗っていきます。くだいていうと、前二作に比してノリがいいの、ね。今頃になって気づいたことは、ワンシーンワンカットがけっこうあるんですな。そこへきて、清順美学カットが、いたるところにinします。これね、舞台にすれば、何本でも出来る贅沢品でっせ。
特筆すべきは、というか、私が書きたかったのはほんとうは、この映画において映画初出演の毬谷友子さんについてです。チラシには、「宝塚歌劇団でトップを極めた」とありますが、私が聞いたところでは、卒業試験で前代未聞の99点というトップの数字を出したんですけど、如何せん背が足りなかった。で、何してたかというと、トップ女優の歌を幕袖で、代わりに歌ったりしてたんだそうです。つまり、主役口パクの吹き替えです。それだけ歌もうまかったんです、な。私は、最初は相米慎二監督(故人)の紹介で一緒に飲みにいきましたわ。当時は、相米監督、いろいろと私の芝居にそないな女優さんやら俳優さんを連れて観に来てくれてましたから。柄本明さんとも相米さんの紹介です。それがご縁で、何度かお会いしております。ご両親とも会っています。(別に嫁にくれといいにいったワケではありません。誤解なきよう)。尊父の矢代静一さんと三人で鼎談したこともあります。矢代先生には、岸田戯曲賞の選評でだいぶ皮肉をいわれましたけど。(北村想は、はやくも、大衆うけする作品を書いているとか)。とはいえ、負けずにいわせてもらいますと、私は矢代先生の『浮世絵三部作』はさほど評価していません。どこがオモロイねんと思っています。浮世絵などいくら持ち上げても、ブロマイド、いきつくところは、好事家の道楽に過ぎないのではないかというのが、私のいいぶんです。
ま、それはさておき、毬谷さんは、この映画出演のとき、ちょうど30歳か31歳です。三十させごろとはいえ(おっと、品がねえな)、私は本日この映画を観て仰天しました。彼女のどこに、あのようなエロチシズムがあったのだろうか。その冷たい妖艶さは、『桜森の満開の下』(安吾)の女のように、攫っていってしまいたくなる、あれです。それを彼女から引き出した鈴木清順は、やはり映画の達人です。映画美学の王です。だいたい、彼女はローマ・カトリックの信者です。それがまあ、この映画の彼女のエロチックなシーンには、私は正直ドキドキして、かつ、ときめきました。何度も会ってはいるんですが、誓っていいますが、私は彼女に劣情したことはありません。ただ、彼女が「想さんの芝居は、他のと何か違うから」といってくれたことに対して大いに勇気づけられましたし、鼎談のアト、見送りに出てくれまして、いつまでも手をふってくれた光景はいまでも目に焼きついております(と、ここで、ちょっと差をつけさせていただきますが。羨ましいと思われるようなことの一つくらい、私にもあるのです)。しかし、正直にいいますと、今日は欲情しました(勃起したワケではありませんが)。すんません、友子さん。とにもかくにも、この映画は、毬谷友子さんのためにあるような映画でした。おそらく鈴木監督も、陽造さんも、そう思っていたに違いありません。

2012年5月13日 (日)

春の日はかくの如し

階下から品のないクシャミが三連発。昼飯にいろいろ迷ったあげく、けっきょく蕎麦と握り飯を買い求め、いつものfood terraceに陣取ってみれば、本日は日曜で満員の盛況。老夫婦がアイスクリームを手に席をお捜しのようだったので、席を割って(四人がけの席を二つにして)どうぞと、一言。午前中は31(サーティワン)アイスクリームが、東日本大震災募金に協力の人々に無料でアイスクリームを進呈とやらで、大賑わい。こうなってくると、震災に対して何をしてらっしゃるのかワカラナクなる。つまり、震災はかっこうの宣伝材料となる。ミスドのブレンドコーヒーを、これもいつものごとく飲み終えて、外の喫煙所でいっぷくして帰宅、椅子にもたれると、クシャミが聞こえたのだ。
たぶん、と、思う。どんなに偉い女性作家でも、評論家でも詩人でも、あんなふうにクシャミされるのだろう。ひとり暮らしのよきところ、ドアを開けたまま糞が出来る。何処でもタバコが喫える。喇叭のごとき屁を遠慮なくひることが出来る。いわゆる品のナイことがたいていは出来る。そこで邪な私は思う。品のナイ愛というのは在るのだろうか、と。だいたい愛は品があり過ぎて、こそ、私には理解不能のものではなかろうか、と。
演劇を手にしたとき、ああ、これで私は一生生きていける。死なずにすんだ。こんな楽しいオモチャがあるだろうかと、そのエロスを慈しんだ。しかし、それも束の間、演劇(私の場合は戯曲)が銭になりだしてからいうもの、これがためにツライ日々が待っていた。救いだったのは一つだけ。家庭という場所から抜け出して、仕事場用に借りた一間のアパートで、書き物をする時間。このとき書かれた作品が、私の劇団用に書かれた主だったものだ。ツライといえど、じゃあ、辞めましょうというところにはもう私の立場はなかった。ただ、如何にしてあの楽しかったオモチャの日々をとり戻すか。目標はそれだけ。人生を棒に振ってもイイと思い、人生のほうから棒に振られたことについては悔やみはナイ。せめて一太刀報いんと、それだけの闘いだった。
とはいえ、思うに、私に最後まで随伴してくれたのは、やはり演劇だけだった。四面楚歌なる故郷の楚の歌声に、一夜にして兵士が逃げ去った『史記』の話は有名だが、かほどまでに自死の条件が整っていながら、それに至らないのは、やはり私にまだ書くことの楽しみが残されているからでしかナイ。終にパンドラの函に最後に残ったのが演劇だったということだ。たしかに、私はこの「悲しき玩具」でまだ遊べるのだ。そう苦笑するとき、ふと思うのは、いまの若いひとが、あまり楽しい顔で芝居をしないことだ。私は不真面目に舞台に取り組めなどといっているのではナイ。たしかに演劇は「悲しき玩具」だ。遊び方が難しい。しかし、ほんとに悲しくなってはいけない。また、群れることだけに充実するというのも大間違いだ。その身体は自分のものだ。その身体は自分の玩具だ。その玩具は二十歳のときは二十歳のきみだが、四十歳のときは四十歳のきみだ。しかし、その身体の、記憶、は、六十歳になっても16歳のアポリアを憶えている貴重なものなのだ。「遊びをせんとや生れけむ、戯(たわぶ)れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆるが)るれ」( 『梁塵秘抄』巻第二・四句神歌)

徒労或いはおとぎばなし

ほんのちょっとの出来事だが、いままでやってきたことはすべて徒労に過ぎないことだという、悔恨に似た寂寞がおとずれた。昨日の昼下がりの出来事だ。そうすると、一気に脱落して、まあ、それでもいいかという気になった。それから、次ぎに、これから行ういろいろなこともいずれ徒労でしかないという諦念と、気恥ずかしさが脳裏を過った。たしかに一切は無駄な労苦に終わった。労多くして効少なし、骨折り損、シジフォスの刑罰。世間は何も変わらなかった。というより、けして良くなったとはいえまい。相も変わらず目先の利益に走るものは、それが何か信条でもあるかのようにそうするし、我先にと地獄へ行く競争をしている。くだらぬ噂で杯を傾け、つまらぬ流言蜚語にまことしやかに頷く。書店の店頭を飾る生き方指南の本は隣に並ぶ料理レシピと同じ程度の価値を持ち、このひとのコトバを聞けなる類の本は、日本民族の誇りを声高に謳う本と手をつないでいる。書を棄てよとかつて詩人がいったせいでもあるまいに、ひとびとは書を棄てたし、また手にしようと思う書もなくなってしまった。
私は脱落から転じて放棄、自棄にまで沈んでしまったが、そんな私の退潮の浜辺に寄せる波が囁く。ああ、そういえば、子供のころに読んだ「おとぎばなし」は面白かったなあ。立川文庫も面白かった。岩窟王や十五少年漂流記やロビンソンクルーソーも面白かった。波は寄せては引き、寄せては引き。ただ波は寄せては引くだけだ。アトは知らんとばかりに。その大いなる徒労。何の役にもたたない運動。月の引力と地球の海との関係からなる、意味なき繰り返し。その徒労の前には、私の徒労などたいしたものではナイ。何かたいしたことをやっていたのではないかというのは私の「おとぎばなし」に過ぎなかった。
ほかのことはなんもしらんよ。我が徒労は我が労働と等価に然り。私は徒労において書き、徒労においてひと日を終える。「おとぎばなし」のおわりはいつもこうだ。「めでたし、めでたし」。何がめでたいのか、私の場合は、おそらくワカラナイままに。そこで、私はもうひとこと、付け加える。
「皆の衆も、かってにしたまえ」

2012年5月12日 (土)

吹きっさらし

今日も朝から強風がつづいている。近隣に中学校、高校、公園があるので、昨日は窓を開けておいたために窓辺に極めて細粒の砂が付着していた。今朝も一度は8時前に目が覚めたのだが、うつらとしている間に10時近くまでまた寝てしまった。よほど疲れているらしい。時間が時間なのと、買い物があるので、いつものスーパーに出向く。贔屓のレジさんは土日は休みだから、要するに主婦のパートで、土日は必ず早番なのは、ちゃんと家族をタイセツにしているのだなあと、キチンと生きているひとに対する信頼のようなものと、自身の泣きどころとしての痛みが同時にやってきた。それからいつものfood terraceで、今日は蕎麦とコロッケパンを食べる。いつもすべての座席が見渡せるところに座るのだが、今日は土曜の正午とあって家族が多い。そういう場面に遭遇した場合、私は「私もこんなふうに生きられたかも知れない」とはどううしても思うことが出来ない。いつも太宰治の『黄金風景』を読むような面持ちで、「なぜ、私はこういうふうに生きられなかったのだろう」という羨望だけがやっいてくる。それもまた疲労しているせいかも知れない。
もうすぐSLOFT/Nの稽古が始まる。演技者はたぶん、上手に演じなくてはと課題を持つだろう。『この夜の果てへ』に出演していた女優に私は「上手に演じようと思ってはいけません」と何度も注意したことがある。演技者が上手くなるというのは自然過程だ。何度も舞台を踏めば、幾ばくかは上達する。経験の学習というものだ。そうでないものは、基本的に演劇というものが好きではナイのだ。演劇という虚構の時間は好きだが、その擬制の関係は好むところだが、演劇自体は好きではナイのだ。戯曲はせりふを覚えるためにだけに読み、けしてそれが自身の心身を通過し、逆に自身の心身が戯曲を通過するものだとは「経験上」においても知り得ない。
演技者は、自身の担当する役について、これはこういう人物だから、このような口調で語ろうとイメージする。これは自然なことだ。どうしても書かれた劇から演じられる劇に入っていくには、まず初手はそれしかナイ。このとき、演技者はさまざまな「教育」によって、役の裏づけを捜したり、行間を読めといわれたことを思い出したり、その役のある場面における心理を想定したり、せりふにこめられた役の心理を追求したりと、忙しく立ち居振舞うのだが、そのすべては間違っている。それがすべて間違っているということを経験して考えてもらうのが、SLOFT/Nの公演の目的だ。簡単にいうならば、「おはようございます」というせりふがホンにあれば、この「おはようございます」が、演技者である自身の何処から発せられるのかを、それまでの「演技教育」のすべてを疑い、または捨象して、内省と研鑽だけを頼りに創り出していかねばならない。この「おはようございます」を、あなたの母親が死んだ朝、あなたを気づかって心配そうにしている隣のオバサンに対して、私は平気ですと、少しの強がりと覚悟をもって、創り笑顔をしていう「おはようございます」というふうに語ったらどうなるだろうか。そういうことをやってみせることが、演技というものの、愉快な悪戯だ。まあ、出来るもんならやってみることだ。

2012年5月11日 (金)

眠る力

目覚めるとすごい風で、天変地異でも起きたのかと不安になった。ホラー、かつてはスリラーと呼ばれたが、他にサスペンスでも、ミステリでもいいが、視覚というものは「恐怖」を聴覚は「不安」を呼び起こす。これは視覚がそのまま像として在り、聴覚が像としてではなく像を喚起するものとしてあるからだ。たとえば、原始人類は、サーベルタイガーてな猛獣に面と向かったとき、恐怖を覚えたろうが、いったん、居住している穴に逃げ込めば、恐怖は薄れる。しかし、外から聞こえる猛獣の唸り声や吐く息の音や、足音を耳にして不安にかられたと推測されるのと同じことだと思える。
時計をみると、もう10時を過ぎていて、ゆんべの就寝が12時前だったから、10時間以上眠ったことになる。夜中に一度トイレに起きた記憶があるが、このところ早朝覚醒がつづいたこともあって、めずらしく長く眠ったことになる。この年齢になると、眠るということにもある一定の体力が必要で、睡眠によって疲労がすっかりとれるなどということはナイ。とはいえ、まだ10時間以上眠れる力が残っていたことは、それほど体力の衰えはナイとみてイイのかも知れない。とはいえ、足のほうの不自由さは、ちょっと予想以上の面倒なもので、家事をしたり、少し歩くとやはり痛む。試写にいって2時間近く座っていると、今度は同じ体勢をとっていたからやはり痛む。鎮痛剤はどうしても胃に負担をかけるので、痛むときにしか服用しないようにしているが、シップ薬は、市販の安売り(一世代前のものだろう)を購入して、何カ所かに貼るのだが、これでけっこう間に合う。なんだか医療用の薬剤が入っていますってのは高価だが効果はさほど違わない。だいたい医療用のものとは使われている量のケタがチガウ。
『続・恋愛的演劇論(実践編)』は、終わりまでの見通しはたっているのだが、これをブログでとなると、ちょっと難しいかとかんがえ、すべての演劇論を一括りにして『恋愛的演劇論』として、一冊分相当の原稿に更めるつもりだ。とはいえ、出版の目処などナイから、原稿にして残しておけば、それでイイ。時代が必要とするようになれば、誰かがどうにかしてくれるだろう。
もちろん、他もそうだろうが、演劇情況は少しも良くなっていない。各自各所で足掻いているなあという感じだ。当方も、演劇論をブログで書きつつ、さらに自らの未熟だけは身をもって感じた。しかし、書きつつかんがえつつ、していかなければ、どうなるものでもナイ。まあ、銭の切れ目が命の切れ目、いまさら希死念慮でくたばるようなことはナイ。また、誰かにすがって生きていこうなどという他人迷惑なことなどまったくこの先考慮に入れていないので、何処かでくたばれば、そこまでのこと。アトを濁さぬよう(とはいえ、これ以上、濁るワケがナイともいえる世間だが)にするだけだ。私は吉本さんのいう[大衆の原像]は理解できるが、吉本さんのように大衆の実像に対しては寛容ではいられない。願わくば、『けんかえれじい』の南部麒六がごとくに。

2012年5月 9日 (水)

雑記・俗気

オイルショックとかいうのがあって、老いる衝撃というのではなく、なんだか石油高騰とかで、トイレットペーパーが値上がりするとかで、どっと消費者がこれを買い占めに走ったために、店頭からトレペが消えてしまった時があった。まだ岸田國士戯曲賞を受賞する前のことで、そのときに、ふと、トレペが無くなるということは世間を震撼させるくらいのことかと思い、しかし、世に演劇が無くなっても世間は別に何も困ることはナイだろうから、要するに演劇なんぞというものは、トレペよりも価値のナイものだなと、半ば不貞腐れ気味に失望し、半ば肩の荷がおりたような気がしたのを記憶している。
こないだ柄本さんと閑談したことは書いたが、中で、ふと、柄本さんの口から、「演劇で食うっていうのは、そんなに重要なことかね」と、柄本さんらしい問いかけがあって、柄本さん自身、サラリーマン生活から得体の知れぬ未踏の演劇業界に足を踏み入れ、なんだか知らない間に食ってきてしまったというふうで、そりゃあ、おれだって一緒ですよ、べつにこれで食っていこうなんてことは考えたワケじゃなかったけど、始めた当時は、あんまり名古屋がバカにされるので、また名古屋の演劇屋もそれに従順で、東京から偉い演出家の先生だかを呼んで、お勉強演劇をし、ちょいと東京の老舗の劇団の研究所なんかに1年ばかり行って、帰ってくると、それが肩書になって大いばりだったり、なんだかそういう情況というヤツが性に合わずに、いまにみていろバカヤロウってな調子に若気の至りというのだろう、糞意地張っているいるうちに、書くしか仕事がなくなって、それでかろうじて食っているてな具合なんだから、と、まあ、それだけのこと。
独り暮らしのいま、足が不自由になったので、毎日やってた掃除も三日に一度くらいになり、飯も一食は、ピアゴのfood terraceで食うようになり、洗濯は洗濯機がやってくれるから変わらないが、これまたふと思うと、なんとなく気分は18歳のときに名古屋に出てきたのと同じ、変わっているのは、三畳一間が2DKになったのと、心身のことをあまり気に病まぬにようになったこと。しかし、人生の大半を双極性のうつ病で失ったかと思うと、ああもうバカバカしい、どんな苦労も努力も要するに水泡に帰すというやつで、どうせこの先やることもそんな程度のものだろうと覚悟だけはしているが、アル中になれるほど酒が飲めるほうではなく、それでも適度に肝臓は衰弱しているらしいが、悪くなってから10年以上は生きているので、まったく気にもとめていない。「どんなふうに生きてもこんなふうにしかならなかったろう」と、ワカッテくるのがおそらく還暦とかいう60歳なんだろう。
柄本さんのところに一緒させた若いのにも、いったことだが、「柄本さんてのはね、考えてんだよ。で、わからねえってんだよ。だからね、ワカッタような顔してる役者が大嫌いなワケよ」「役者ってのは、バカなんだからね、ただ、一所懸命やりゃいいの、いい演技も下手な芝居もないの。なのに、バカが一丁前に、私はどう演じればイイんですか、こんな感じでイイでしょうかてなふうな顔すんのよ。おまけにいまの演出には納得出来ないんですけど、とまで、いうアホまでいるんだからな」と、こんなふうに書くと、また誤解されるだろうなぁ。

2012年5月 7日 (月)

『現代詩手帖』5月号、追悼総頁特集・吉本隆明 を読む

読んだ。いっとう最初に舌を打ったのは、吉本さんも死んだタイミングが悪かったナアという、治まりの悪さだ。週刊新潮だったかで、インタビューがあったのは知っていたが、私は読まなかった。吉本さんが、原発事故に対してどういうかなどは、ワカッテいたからだ。だから、それはもういいじゃないかと思った。それ以上、私もまた何もいうことはナイ。「鼎談」として、岡井隆×北川透×野村喜和夫、「討議」として、橋爪大三郎×瀬尾育生×水無田気流、「対話」として齋藤愼爾×勢古浩爾、「鼎談」の旦那衆はなんだかもう、古臭えなあという気がして(根拠はナイのだが)辛気臭かった。「討議」は、いやもう御三方、大人でいらっしゃって、奇麗どころもいて、いい酒飲みながら話してらっしゃるなという、気分のイイものだった。「対話」は、最も通夜の晩のしみじみさがあって、好感がもてた。流山児が笑ったという、ぬりかべ高取英氏の追悼も読んだ。要するに「イロモノ」だったな。山崎哲チャンの追悼は、根っからの吉本エピゴーネンの悲しみが滔々と伝わってきて、さすがに、演劇という業界に(その先達に)吉本隆明を伝導してきたひとはチガウなと、感じ入った。
私も先だって、とあるところからインタビューを受けたが、「けっきょく吉本隆明は何をやろうとしていたのか」には、たぶん、日本人とは何かという根源的な問いかけがあるんじゃないですかと答え、「これから吉本思想はどうなると思うか」という質問に、吉本さんというのは独特の「詩的論理」と「吉本視線」という二つのベクトルの合力、乃至はその変容で存在したものだから、たまたま私は演劇をやっていたので、『言語美』と『心的現象論』に影響を受けたワケで、その応用を試みているが、おそらく似たようなカタチで継承されるのではないかと、答えておいた。私は『共同幻想論』はあまり興味がなく、資料としての『遠野物語』を読んで、共同幻想とはこういうものかと、こんなふうに『遠野物語』が読めるのかと、そっちにやや興奮した記憶がある。もちろん、私は国家が共同幻想だとはそのラインからして思ってはいない。国家というのはいわば、共同幻想の疎外としての存在だ。トークイベントでご一緒したとき(吉本さん69歳)、「あなたと私は資質が似ているねえ」といわれて内心、欣喜雀躍、しかし、どの資質かなと考えてみるに、当初は太宰治と宮沢賢治が好きなことが一緒なのかなと思っていたが、つい最近購入した勢古さんの著作『最後の吉本隆明』を読んで、ああ、そうか、吉本さんは、私の中にちゃんと「暗さ」というものを、しかも、その「暗さ」が形成されたのが少年時代であろうことを見抜いてらしたんだなあと、納得がいった。失礼ないい方だが、娯楽として読むには、ぬりかべ高取氏の文中にもあった、三バカとの論争がイチバン面白かった。(私は竹中労さんは好きだったし、平岡正明のセンスも買っていた)。山崎哲チャンは吉本エピゴーネンだが、私は吉本学派でもテキ屋の劣等生で、『心的現象論・序説』を読むのに十年、三回もチャレンジしている。おそらく鈴木忠志氏に吉本さんを教えたのも哲チャンだろうと思う。『内角の和』は随所にその影響がみられたから。私は吉本さんのような長生きと、ふつうの暮らしは無理だから、早々と店仕舞いのために日々、あれこれ費やして生き抜いているだけに過ぎない。

私の要望する俳優(演技者・役者)

舞台に立って劇を演じるひとのことを、私が演技者と書いたり役者と書いたり、あるいはたまに引用に従って俳優と書いたりして使い分けているのは、そう特定された意味はナイのだが、演技者というのは演出者に対応してのコトバで、役者というのは、何らかの「役」を演じている「役」づきの演技者のことを指している。俳優はあまり用いない。語源を調べるとなんとなくそれらしいのはあるが、どうも、あまりアテにならない。私の場合、自身の職業を述べるのに(売文業→著述業→小説家→文学者・・・この中に作家とか劇作家とか、最近ではフリーランサーとか、文筆業とか、単に物書きとか、いろいろあるが)税金の確定申告においては「著述業」として、細目に「フリーランス」としておく。それと似たようなものだろう。
いつだったか、大阪の『満開座』という劇団(現在、休止中)と、ご一緒公演てなのをやったとき(合同公演ではなく、演目は別々に、同じ時期に、同じ場所でということ)、『満開座』のほうの演目、タイトルは失念したが(てめえんところのほうも忘却している)、芝居の内容はフットボールで、つまりラグビーで、しかも、野外公演ではなく、室内の劇場一面に土を敷きつめ、そこで芝居が進行し、ラストシーンは、本水の雨の中、ラグビーの対戦となって、役者みなさん泥まみれになって奮闘、これには、泣いた、そして笑った。「一回性を生きる」もへったくれも、ともかく、この一回性は、おそらく観客との相互関係がどうのこうのの理屈や美学を突き抜けて、役者としても人生の一回性でしかなく、だいたいの段取りは決めてあるのだろうが(そうでないと終わらない)、何処で誰が転んで、誰がタックルして、誰がつんのめって、誰が泥に顔から突っ込んで、もう、目茶苦茶の乱戦で、泥仕合とはまさにこのことか、いやもう当時風俗で流行っていた女子の泥プロレスなんざ砂遊びにしかみえないくらいの、虚実も何も吹っ飛んでしまう、悲しさ哀しさ愛しさせつなさだけが駆け抜けて、演劇を選んだというものの宿命とはかくも悲惨で文字通りの泥だらけなものかと、泣いた、そうして笑った。ひとというのは、こういう事態に接したとき、泣きながら笑うように出来ているらしい。このときの役者の気持ちはどんなふうなものなのだろうか。そんなに難しく考えることはナイ。ええい、もうムチャクチャや、やるだけやったれっ。の他、何があろう。とはいえ、私はそういう演技者を要望しているワケではナイ。ちょうど今日、シネマテークでアキ・カウリスマキ監督の『ル・アーヴルの靴みがき』を観たのだが、私はこの監督の映画は、ほんとうは観たくナイのだ。キライだというのではなく、もう心底好きなのだが、観るやいなや、たちどころに私は私の創ってきた数多の作品を全否定されたよな気分に陥る。ダメだなオレは、オレの思想(があればの話だが)も理論(があればの話だが)も、この映画一本で、粉砕の憂き目。はい、さようなら。また立ち直るまで時間がかかる。いったい、このカマキリの簀巻きは、何処からかくなるチャーミングな俳優を集めて(捜して)くるのだろうか。この有無をいわさぬ、エスプリと単純なコトバ、そして「お話し」。こういうものが書けなくてはダメだなオレも。こういう芝居が創れなくてはダメだぜ。なんとか生きなくてはナ。

tea break 『内角の和』を御馳走になる・付録

実をいうと、私は、スズキ氏の演出風景を一度だけ観たことがある。いつだったか、まだ利賀村に要塞の出来る前だと思うが、名古屋に巡演があったのだ。このとき、私はまだまだ劇作家といっても末席の端っこにいる若造だったから、チケットの手配などしてもらえるワケもなく、それならというので、本番前の場当たり(通しの時間がなかったらしい)を少しだけ拝見した。白石加代子さんもまだいらした頃で、何の場面か、まったくワカラヌが、演目さへ忘却しているのだから仕方ないとして、スズキ氏は、客席から舞台に演出(ダメだし)を敢行されていた。で、どうも気に入らないとみえて、そのシーンが何度も繰り返され、白石さんに対しても「婆ぁがモゴモゴいってるようにしか聞こえねえんだよっ」と怒鳴り散らされていた。私は役者を怒鳴ったり叱ったりする演出者はあまり得意ではナイのだが、といって私自身、演出家ではナイので、演出なんかにはまるで自信がナイゆえ、怒鳴りも叱りもせずに、ただ黙って観ているだけなのだが、繰り返されるそのシーンと罵声を聞いているうちに、ああ、このシーンはそんなに出来が悪いのではなく、単に役者の気の緩みを本番において招かぬように、わざとキツイことをいってらっしゃるのだなと、気がついた。演出家というものは、そういう戦略もまた持つ必要があるのだ。
ま、それはともかくとして、偶然開いた40年前の書籍をいろいろと御馳走になれたのは僥倖の至りというべきだろう。ごちそうさまでした。

tea break 『内角の和』を御馳走になる・11

では、スズキ氏が要望していた「一回性の演技を生きる俳優」とは、具体的にはどういう演技者のことをいうのだろうか(白石加代子は括弧に括っておくことにして)。それが、この著書のラストにおいて白眉を飾るエッセー「演技と思想」に如実に物語られている。まず、「一回性」という語彙、意味、概念、について誤解があるといけないので(私自身が誤解しているといけないので)こちとらなりに、未熟に定義しておくと、これは公演が一回限りのものでしかナイことをいうワケではナイ。スズキ氏の早稲田小劇場は小さなアトリエであったために、満員で入りきれない観客のために、即日追加公演が組まれることもままあったらしい。長尺の演目ではナイので、それは可能だったと思われる。そこで、これまでのエッセーから汲み取ると、観客の相互関係において、それは「一回性」の演劇であり、といって役者のいわゆる通俗的なアドリブ (ad lib)ではなく、インプロビゼーション(Improvisation)としての直観性に支えられた即興性と考えて、さほど的を遠く離れていることはナイと思う。
「演技と思想」では、阿部貞について語られる。スズキ氏は偶然『週刊現代』で目にした阿部貞の記事から、彼女に興味を持って彼女のいわゆる「阿部貞事件」の予審調書が収録されている本を手に入れ、これを読み/突風にたたきつけられたような衝撃をうけた/(「演技と思想」)のだ。この調書は織田作も小説の資料にしているが、貞のモノローグ、独り語りになっている。その語りの引用がかなりの長さでつづく。間に内村剛介の阿部貞評や、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の一節が挟み込まれて、さらに長い阿部貞のモノローグの引用があるのだが、スズキ氏の一言を抜き出すと/彼女のことばは、質問に答えながらも、あたかも話す人とそれについて話されるものとの関係しかない場で、発せられたもののようである。はじめはコミュニケーションを意図しながらも、話すうちにことばは自分の意識だけにしか反響しないようになり、ついにはことばによってのりうつられ、憑かれてしまったかのような印象をあたえられるところがある。/ここで、私たちは、阿部貞事件における阿部貞の調書告白という特異なものを、その特異さゆえにとりあげるべきではナイ。スズキ氏は、阿部貞の調書を「読み」=「視覚的」に捉えながら、ひとつの「語り」として「聞いている」=「聴覚化」している。そうして、それをさらに阿部貞という「像」に「視覚化」しているのだ。このベクトルの変容が、スズキ氏を通過する有り様は、そのまま、スズキ氏が俳優に対して求める演技の通過と等価だと思える。/では阿部貞はなぜ、私にとってもっとも言語化が困難だと思われる私的な体験を、このようなことば=語り口のうちに表出することができたのであろうか。/(同)、それについて、スズキ氏は、肉体のことば、身体知覚と不可分に結びついたリズムとしてのことば、あるいはリビドーに裏づけられたセクシュアルな身体のリズム、語ることじたいが身体的快感として持続していく、てなふうに理屈を述べるのだが、それはそう聞こえたのだから、そうなのだろうとしか、こちとらにはいいようはナイ。ということで、/即興は状況においての必然性である。即興とは、もっとも充実した創造的意識のなかで、もっとも深い身体的リズムの記憶によって導きだされてくる、自由な生命力そのものなのだ。/(同)、とした上で、これを/自己が自己に憑かれるような狂いとしてしか体験しえぬ身体のリズムで(略)期せずして彼女の一回性の演技の貴重な記録になりえている/と結んでいるところから推測するに、スズキ氏が要望せし、演技、俳優というものが如何なるものかは、察しがつくことになる。

2012年5月 6日 (日)

tea break 『内角の和』を御馳走になる・10

身体というものを、観客との相互関係に依る時間の流れの中で捉えようとすれば、イマージュとしての身体というのは、身体が身体を流動的な観念として捉えているという構造になる。つまり、舞台の時間の流れに準じてイマージュされた身体は変容していかねばならない。では、実体としての身体は何処に在るのか。「非現実化している自己(これは俳優からみても、観客から観てもイマージュとしての身体に相当する-引用者:注)を現在性(舞台の時間の流れにおける現時点-引用者:注)としてとり戻す」とは具体的にどういう営為をいうのだろうか。/たとえばここに「好きだ」という台詞があるとしよう。現今、俳優がこういう台詞を言おうとするときに、いったいどういう手続きをとっているのだろうか。おおむね彼らは、音声的な面から近づくのがつねである。/(「側面的演技考」)、この営為はスズキ氏によって次のように否定される。/実在の全体から、舞台にとって効果的に利用できる可視的、可聴的な外在化された形を抽出し、空間的に移動させることに専念してきた/というふうに。(訳してみるならば、現実の世界から、舞台という非日常の世界にも利用出来るような、視えたり聴こえたりにすること、になる)。しかし、私は、「好きだ」というせりふの発語を、そのように切り捨てるのは、きわめて図式的に過ぎないように思う。/「好きだ」という台詞を発する主体が、どのような状態にあるときに、演技として生きたと言い得るのであろうか。/と設問はつづき、/ひとつの台詞が音声表出される以前のある状態、身体的知覚それ自体が意味を放射するような時を演技と呼ぶ以外ないと思われる。音声表出以前に、前言語状態ともいうべき身体知覚があるのであり、演技とは既知としてすでに構成されてしまった言語、表現が完了した言語からその根源の沈黙ともいうべき前言語状態を、身体的に生きようと担うものなのである。/ここで述べられている「身体的知覚」は「心的現象」に近いものだ。そうすると、演技を「生きる」身体は二重構造として、舞台に在らねばならない。イマージュの身体としてと、身体的知覚を営む身体として。ここでも、実体としての身体は置き去りにされたままだということになる。観念化された身体と、心的現象として捉えられた身体がそこに在るだけで、発語以前(前言語状態)の身体が身体的に生きるということが演技を生きることだとすると、スズキ氏がここで呼ぶ「身体的」なものへと移行する、つまり、実体としての身体が発語する過程がすっぽり抜け落ちていることになる。「前言語状態を、身体的に生きようと担うもの」という、前言語状態から身体的というものに至るプロセスだ。いったい何が「生きようと」しているのだろうか。もし、ここでいわれている「身体的なもの」というものが、イマージュとしての身体を示すなら、そういう身体というのは、ふだん私たちが持ち合わせている身体と寸分の違いもナイものだ。私たちは「身体」だが、「身体的」と称するに及んでは、自らの身体をいつも観念化(イマージュ)している。つまり、私たちもまた「身体的」な身体で生きている。そうすると、舞台における俳優の身体は、論理的には日常の身体と同一といっていいということになってしまう。スズキ氏は、そういいたいのだろうか。私たちもまた、日常的に、言語を内在として所有している。それを前言語状態といっても支障はナイ。音声表出以前に言語を(スズキ氏のコトバをかりれば)身体知覚しているのは、べつに俳優の身体でなくてはならない理由は何もナイ。だが、私たちは日常(舞台ではナイところ)で演技をしているのではナイ。私が考えるに、舞台にある身体というのはいったん「戯曲を通過して」イマージュされ、観念化されて否定された身体が、舞台に立つときに、さらに否定(逆転)されて「表現された自己=役」となった実体だ。つまり、イマージュも前言語状態も、役者にとっては舞台に立つための戯曲を通過する段階で終わっている。だから、いったん舞台に登場した役者は、その舞台における「現在形」だ。役者はどのような観客との相互関係における時間の流れに対しても常に、その時点を現在として舞台に立っている。「好きだ」というせりふは、音声表出されなければ、演技にはならない。内在する表出以前の沈黙の言語を外在化したものが、音声表出としてのせりふであるということはいうまでもナイことだ。「好きだ」というせりふは、演技者がそのせりふとどう「関係」し、如何に「了解」するかという問題になる。そうして、それが音声表出というせりふである以上、演技者はそれを聴覚としての像として捉えるのが最も自然な出発点だ。

2012年5月 5日 (土)

tea break 『内角の和』を御馳走になる・9

/演技というものは、完結した自己意識によって行われるものでなく、俳優の行為と、それに臨場する観客の行為と、ふたつの項をもち(略)そのときの俳優の意識はベルグソン的にいえば、知覚と記憶との間を重層的に揺れ動き、相互浸透しつつ、連続的に継起する質的多様性としていきられるものだ/(同)
スズキ氏は、観客と俳優との関係を「動いている時間」で捉えたいのだ。「知覚と記憶との間を重層的に揺れ動く」というのは、俳優の身体が現在と過去をパラレルに生きていることを指している。ベルグソンの引用は『物質と記憶』からだが、そこで、ベルグソンが、身体をどう捉えているのか、みてみると、「私がたんに外から知覚によって知るばかりではなく、内から感情によってもまたそれを知るという点で、他のすべてのイマージュからはっきりと区別されるイマージュがひとつある。それは私の身体である」「私の身体は、あるひとつの瞬間だけを考えれば、それに影響する対象とそれが働きかける対象の間に介在する伝導体にすぎないが、流れる時間にもどして見れば、私の過去が行動へと移り変わるちょうどその点に、必ず位置しているのである」(『物質と記憶』・田島節夫訳)この場合「イマージュ」とは、実体と表象(イメージ)の中間の概念として用いられている。以上から、スズキ氏は、俳優の演技営為と観客との関係を、時間の流れの中に捉えてみたワケだ。この場合の俳優の時間とは、その俳優の個人史のことをいっていると考えてイイ。これに呼応して/演技衝動とはこういう地点から発してくる。自己の存在と自己意識とのあいだにズレを感じること、つまり自己であることの不可能性を、不断に感じるところから発してくるということができるのだ/(「離見の見」)ここには俳優と観客との関係の宿命が語られている。俳優は「みせる」「みられる」という存在だが、それは観客にしてみれば「みる」「みせられる」ということになる。観客が「みている」ものは同じだが、つまり「みえる」ものは同じだが、「みえている」ものが同じだとは限らない。よって/他者によって疎外され、非現実化している自己を、現実性としてとり戻そうとする無償の行為なのである。/(同)ということになる。
私たちがいくら「こうみせよう」としても、観客が「どうみるのか」は、観客の自由(勝手)で、観客というものは、俳優(演技者)が考慮、創意工夫するほどには、俳優の演技など「いちいち、みてはいない」ものだ。はっきりいえば、演技など殆ど、どうでもイイものだ。敢えて「いい演技」「わるい演技」を峻別しようとするならば、観客が気分を害する演技は避けるようにするくらいのものだ。こういうことは役者(演技者)としては、肝に銘じておいたほうがヨイ。「今日の客はノリがいいね」なんていうのが関の山。「今夜の客は芸術がワカルね」などと誰がいおう。私は毎度本番初日になるとこう呟く。「本番さへなければ、芝居ってのはオモシロイんだけどなあ」。役者たちは、冗談だと思って、笑って相手にしないが、それは、私の正直な感想だ。もっとも「本番女優」てのがいて、本番で客が入ると、えらく張り切って、半身を身体から離脱させながら、「ここに我あり」と、稽古でやったこともスッカリ何処へやら、ただ、ご満悦という、どうしようもないのがいることも事実だ。

闘争と逃走

膝半月板断裂が、縫合程度の手術では間に合わず、全摘出になるということで、リスクのほうが大きい、demeritに過ぎるという、大病院の診察の結果をもって、ともかくデスクワークであるならば、よほど動かなくなるか、痛さの限界が来るまで、現状治療のままがいいという進言もその医師からあったのだが、当方としてみれば、ただ、机に座って仕事をしていれば、お茶も飯も出てくるワケではなく、家事一切をやっている独居の身、とはいえ、いま以上の弊害は避けたほうが無難と判断して、とりやめにした。その結果、心身に壊れた部分がまた一つ増えることになった。つまり、身体的にやや不自由にはなった。これが若い身ならば、苦吟もしたろうが、今年還暦を迎える年齢にとっては、何を厭うことでもなく、職業として、毎度行くスーパーでみかける高齢者の労働のようなものは、もはや不可能となり、カレー屋への転職もアヤシイこととなり、ますます、籠もりきりの仕事で生きるしかなくなったが、とはいえ、逆に役者というものも、制限内ではやれぬこともナイだろう、むしろ、この制限内で出来る役者として舞台に立つのも一興とさへ思っている。そう考えると、日常的に身体意識に疎い健常者よりも、神戸浩のように、常に自身の身体を識知してこなければならなかった肉体に近いような気がして、満更でもナイのだ。
『現代詩手帖』五月号は総頁吉本さんの追悼に充てられて、いささか急なつくりだなという感、なきにしもあらずだが、その雑誌を手にして、やっと、というべきか、吉本さんの死の実感がやって来た。内容についての感想はまたあらためて書いてみようと思うが、かなり前、吉本さんがミシェル・フーコー氏と対談された際の収録書籍『世界認識の方法』(中央公論社・・・このホンは通訳を通じているため誤訳が多いのではないかと指摘を受けているのに、どういうワケか、当時の録音原盤が残されていない)で、フーコー氏が発した「マルクスの階級闘争の階級はワカルが、問題とすべき闘争に対しては、その戦略がはっきりとワカラナイ」という発言に対して、吉本さんは「フーコーさんのいわれる階級闘争という場合の闘争というものの目標を、どこに置くべきかを現実的に設定した場合には、その闘争は必ず世界からまったく孤立せざるをえないという形でしか行われないと思います」と、毅然と応えている。こちとらは、闘争ではなく逃走の体での毎日だが、やっと、世間の胡散臭いヤカラから逃走という大義名分でもって、銭の切れ目が命の切れ目とだけ覚悟していればいい生活が出来るということに結果的にかなってしまって、ひどいときは分刻みでおとずれる、両極性の躁鬱病とつきあいながら、次第に、というか、ああ、やっぱりくだらねえ野郎はくだらねえなと、あらためて実感したり、いまの若いひとも、満更すてたものではナイなとも感心と関心をもって暮らしている。
昨夜は、急に柄本明さんから「今夜、名古屋なんだけど、飯どう」と電話があったので、SLOFT/Nの演出勉強中の若者を呼び出して随伴させ、東急ホテル近隣の居酒屋『くらや』で話し込んだら3時間、あっという間だった。こんなに柄本さんと話をすることはなかったことで、たいへん貴重で楽しい時間だった。まったく果報は寝てまてだ。

2012年5月 3日 (木)

tea break 『内角の和』を御馳走になる・8

/どうして日本の演出家は、ひとたび外国へ行くと、まるで自分だけが新しい演劇を体得してきたというような猿真似を演ずるのであろうか。/(同)これは、このアトのルコック紹介の記事を雑誌『新劇』で読んだというところにつづくのだが、スズキ氏が貶すわりには、現在もルコック・システムとして、一部に人気があるらしい。私もある打ち上げの席で柄本明さんと同席した際、参席者のひとりが、柄本さんに「ルコック・システムってご存知ですか」てな質問をしていたのを記憶している。あまり詳しく知らないことを述べるのもよくないが、どうも、スタニスラフスキー・システムの継承のようだ(かつ、ストラスバーグのメソッドには否定的だ)。私は、どんなシステムであれ、出会い、きっかけ、巡り合わせのようなもので、それは、偉いひとの名のあるシステムでなくとも、高校の演劇部の顧問とのあいだにも起きることで、ひとことでいいきれば、自らがかくなる身体であったか、と気づけばイイことだし、そうでなければ、みなダメだし、おそらくそこまでのことだと考えている。
/われわれの眼は、視野全体から相対的に変化しない形態を切り取り、これが形を変えないで位置だけを変えると見做す習慣を身につけてしまっている/(同)これは、形、型、あるいはその延長に形状化した心情を取り入れてしまっている新劇に対する批判だが、先述したように、形、型はある「抽象」としてしか現れない。この「抽象」を、古典芸能、伝統演劇から、いきなり「抽象」として学んでもダメだということが、スズキ氏の主張だ。/もし古典芸能から学ぶなら、様式の初源へとたちもどり、それらを創出してきた肉体の意識と、われわれの肉体の意識の質的な差異を見きわめるところから始める以外ないのである。/(同)/演劇という舞台作品において、部分の総和が全体でないように、俳優は部分などというものではない。俳優それ自体のなかに全体性が投影されている/(同)この辺りのことは、私の続・恋愛的演劇論(実践編)にもやや詳しく同義のことが触れられているので、そちらを参照されたい。ここで簡単に注釈しておけば、俳優はパーツであっても、フラクタルなものだし、ホログラムなものだ。
ところで、前説のつづきのようになるが、私は白石加代子さんとは、偶然、不忍池での唐さんの公演(状況劇場)で隣合わせに座ったことがある。その当時、私は白石さんのことは演劇雑誌の写真の極めてオトロチイ容姿しか知らず、この女性が、どんなふうに唐さんの芝居を観るのだろうかということのほうに半ば気持ちが動いていた。で、やっぱり笑うのだ。観客がドッと大笑いするところでは、お笑いになる。しかも、上品にだ。そりゃあ、一観客だからな。
演劇のワークショップや、演劇学校、養成所は、この、いま、枯れ木に花の賑わいだ。一方ではスズキ氏が「一回性」と称し、唐さんが特権的肉体と呼んだ、俳優、役者は数少なくなっているようにみえる。しかし、そういう俳優、役者、演技者は、ちゃんと、未だいるところにはいるのだ。絶滅希種のごとくにではあるが。

tea break 『内角の和』を御馳走になる・7

/困難とはつねに自分のうちにしかないということを自覚する以外、俳優への道はない。教えてやろうとするはったりも、教わろうという根性も、演劇の世界にあってはいずれにしろ不毛なことなのだ。/(同)
小銭稼ぎにワークショップを催したりしている駄演劇屋や、私も他人(観客)を感動させる俳優になりたいなどと夢見ている甘ちゃんには耳の痛いところだ。ところで、俳優の道というものがもしもあるとして、それがいつまで、どこまで続いているものなのかは、何の保証もナイ。私がまだ劇団というものに従事していた頃、二十歳のときに東京の某劇団研究所から名古屋の我が劇団に身を寄せて、三十歳になるまでの10年間女優を営んだ者があった。彼女が、三十歳で一応のピリオドを打つということをいつ決めたのかは知らぬが、実に潔い営為だと感服した。その10年間に彼女が女優として、劇団のレパートリーに残してくれた功績は多大なものがあり、いくら感謝しても足らない。私は彼女に何を教えたというワケでもなく、彼女も私に何を教わりたかったのか、私自身知らない。ただ、私が学んだことは、劇作家・演出者の私と、演技者の彼女とのあいだの演劇という行為に対する信頼だ。スズキ氏には白石加代子という、スズキ氏の演技論を体現するに匹敵する恐るべき女優がいたが(といって、私は舞台を観たことはないんですが)演技の実力は比較するに及ばないとして、構造としては、似たようなもので、私のホンを初見で正確に読めたのは彼女だけだ。(いまでは、avecビーズの女優たちが、ちょうど、そんなふうです)。彼女の場合、白石加代子のように異形の者とは対極にあって、ただ静かに舞台に浸透していくというスタイルだったが、女優というものは、日常では、その技力はワカラナイものだということも、私は学んだ。彼女はドーナツショップでしかアルバイトをしなかったのだが、その理由たるや、ある価格までは無料でドーナツが食べられるという、それだけのものだった。差し入れにあるお菓子など、何を食っても不味いといったことがナイ。大感激で「おいし~い」を連発するのだった。ところが、私の戯曲を読み合わせするや、ふだんのバカがどう消えるのか、その身体は私のイマージュした身体になりおおせるのだ。私は一度、意地悪く、とうてい彼女には困難な男性のキャラクター(しかも酔どれの詩人という役だ)を要求したが、これまた読めない漢字を訊きにきただけで、あっという間に舞台で跳ねながら(そう、歩くのではなく、彼女はぴょんぴょんと跳ねたのだ)詩を謡して横切って去った。それは自己に自己が憑依するという手順を、ある自動航行装置のようにしてもっているかのようで、その困難な痕跡もみせずに、女性週刊誌でも読むかのような運動量で、かと思えば、わずか20分の短編戯曲でチェロを弾くシーンが冒頭にあるため、それだけのために毎晩居残りで遅くまでチェロを練習し、触ったこともナイ楽器を弾いてみせるのだった。私はどうように、関西にもそういう天才女優の在ることをを知っている。その女優もまた、舞台を降りると、徹夜あけのごとき面相になり、何を考えているのやらぼうっとしていて、居酒屋では、ただのオヤジになってしまう飲み方で、ぐうたらこの上なく、いったい、彼女たちの変身スイッチは奈辺にあるのか、何処で如何にして、演ずる、演技するという困難さを組伏してきたのか、あるいは、そんなことは彼女たちにとってワケもナイこと、必要もナイことだったのか、ともかくは演技者というものがことごとくかのようであったなら、確かに演技論などというものは不要な理論だなあと、ときおり、自身に徒労感を覚えないこともない。

2012年5月 2日 (水)

tea break 『内角の和』を御馳走になる・6

(つづき)しかしながら、だ。観客は、スズキ氏の舞台に何を観にいくのか。いや、当時といってもいいが、何を観にいったのか。それは自身の「内在」するコトバを聞きにいったのだ。ここに、スズキ氏の幻想する俳優の身体と、観客の相互関係における演劇が創られる。観客は、劇場に一歩足を踏み入れるまでは、サラリーマンであり、居酒屋の女将であり、不動産屋の社長であり、学生であり、専業主婦であり、フーテンであり、前科者であるかも知れない。しかし、その各々には、「内在」したコトバが「鬱積」しているのだ。語り得ぬものには沈黙をなどというのは、演劇においては通用しないと私が何度も書いてきたのは、このことをいう。おそらくスズキ氏が、観客を演劇創造の片翼と見做していたのは、そんなところに因をもつ。だってそうじゃないか。観客の至高の喜びは「それ、それよ、そのせりふが聞きたかったの」じゃないのか。こういうことは、演出が戯曲の解釈だからダメだの、演技が演出への奉仕だのとかなんとかヌカシながら、自分は自分の舞台で何か高尚な演出の試みでもしているかのような妄想を持っているトンチキには、逆立ちしてもワカラヌことだ。
/かつて宇野重吉氏は「新劇もようやく演技スタイルが確立されてきこ」というような発言をしたことがある。(略)それは千田是也氏の「近代劇を克服して、社会主義演劇、共産主義演劇へ向かおうとする運動は、今なおつづいている」という発言と、符節を合わすようなもきであった//「共産主義へ向かおうとする運動」は論外としても、「演技スタイルが確立した」とは、いったいどういうことであろうかと、思わぬにはいかない。おそらく新劇流のあてぶり演技の種類が、それなりに整理・保存されだしたという程度のことであろう。(略)私は新劇の新劇たる所以は、能や歌舞伎とは異なり、伝承可能な演技様式、すなわち、可視的な形で語られ、共有されるスタイルなどというものは所有しないところにあると思っているものである。/(同)では、「形」「型」とは何だろうか。それはおそらく「抽象」と解していいように思われる。すると、形や型でナイほう、つまり心象の表出というのは「具象」ということがいえる。ただし、この場合の「具象」は具体的なというよりも、その「個々人」のといったほうがワカリヤスイ。だから、抽象は継承出来るが、具象は継承不可能なのだ。スタニスラフスキーは、なんとか優れた具象を抽象に置き換えたかった。それが可能だと思ったところにこの真面目な演劇人の悲劇がある。私は当時、新劇の芝居をやってる連中が、「紋切り型」というのを忌み嫌うように排斥するのが、よくワカラナカッタ。やはり、旗本退屈男は、諸羽流正眼崩しでもって構えないと様にならないんじゃないの、でもって、「眉間の傷は天下御免の向こう傷」といわないと面白くもなんともナイのじゃないか。『一本刀土俵入』は、茂兵衛が最後にいう「お蔦さん、10年前に櫛、簪、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、これがせめて、見てもらう駒形茂兵衛の、しがねえ姿の土俵入りでござんす」があってこその拍手なんだけどなあ。と、たぶん私はそういうせりふが内在とまではいわないまでも、「自分がいいたかったコトバ-せりふ」だったに違いない。

tea break 『内角の和』を御馳走になる・5

やや長い引用になる。
/もし語られるべき演劇があるとしたら、精神の荒野からはるばると異形をしてやってくるものであり、いっさいの対象化に逆らうような本質を伴ってくるのだと思わないわけにはいかない。私にとって演劇行為とは、その純粋な形において、裏切られた生をいきようとするところのものであり、私自身の人間的な言葉の創造にほかならない。そしてこの言葉とは、常日頃目にするような、活字として印刷された言葉ではなく、閉じられた状況のなかで、それに対処する意識的所作としての言葉であり、過去の認識活動の総体としての既成の言語系の網の目をくぐりぬけてくるような言葉にほかならない。/(「演技と状況」-未知なる俳優への書簡-)
スズキ氏はここで、劇言語の[内在性]というものが述べたいのだと思う。というか、劇言語の内在性を問わずして、演劇など語れはしないということがいいたいのだ。この「演技と状況」では、スズキ氏の演劇に対する出自が語られる。私が最初に、スズキ氏の演劇を実存演劇(実存主義演劇ではナイ)と称したのは、この辺りにその根拠を置いている。このエッセーはこの書籍の中に収録された小論の中でも、かなりの上物で、すごみすら感じさせるものだ。「あれか、これか」「あれも、これも」「あれでもなく、これでもない」と、私たちはキェルケゴールに発し、フッサールの現象学から、ハイデガーの現存在に至る道程を、ふと思い出し、演劇は40年前に、こんなふうに語れる存在だったのだと、あたかもフーコーの知の考古学、ディスクールやエピステーメによって示された地層を垣間見せられる。
劇言語の内在性、語り得ぬものには沈黙をと、ウィトゲンシュタインによって、おやまぁといってる間に蓋をされた「沈黙」は、表出の源であるのだと、何故、いまの演劇人(というのがいるのなら)は、ウィトゲンシュタインの言語論に討って出なかったのだろう。インテリはみんな、そっち向けそっち、したもんなあ。そりゃねえだろ、と、いっただけ損したな。とはいうものの、阿呆の一つ覚えのごとく、ハイデガーでようワカッタのは「頽落」だけで、なぜそれだけがといえば、そこはチガウんじゃないの、と、恐れ多くも首肯出来なかったからで、いまその「頽落」を近所のfood terraceでゴールデン・ウィークを満喫しつつ飯を食う、年配者にぶつけてみれば、「そんなものはね、あんた、人生のいろはというものだよ」と逆に諭されるのがオチだし、若者に論じてみれば、「そんなの、アッタリマエのことじゃナイ。なんでアカンのよ」という答が返ってくるのが順当だろう。
/「演劇とは何か」などと語らずに「自分にとって演劇とは何であるか」を語ろうではないか。/(同)と、これについては、私自身のことはいった。この問いかけをぶつけるに、「そんなことがいえるだけ贅沢よ。私なんか、いまは親の介護で手一杯、芝居なんかより、長生きとは何かよ」という答を偶然に今日、二人の女性の口から聞いた。長生きなどするべからず。老兵は死なず去りゆくのみ。去就、有終の美を思え。楽隠居など、犬に食われればいいのだ。

2012年5月 1日 (火)

tea break 『内角の和』を御馳走になる・4

/不用意な精神には、なにげなく横を通りすぎることのできそうな、それでいて、ひとたびその存在に気づいてしまえば、そこから逃げだすことも、眼をそらすこともできない作家、それがチェホフなのである。/(『チェホフ全集』刊行にふれて)
もちろん「不用意な精神」とは、鈍感のことを指す。私なんぞはその部類に属するから、チェーホフの短編、中編小説を読むまでは、かの四大喜劇と称される戯曲に対しては、登場人物をみただけでしり込みしてしまった記憶がある。そういうことは海外ミステリでもよくあることで、登場人物が多いと、誰が刑事で誰が探偵だったか、人名が出てくるたびに登場人物表のところにもどる。チェーホフなどはロシアの名前で極めて覚えにくく、おまけに愛称まであるから、誰がだれやらわからなくなる。おまけにその名前から人物像を創りにくい。四大戯曲の1ページ目を開いて、何度もため息した。しかし、短編小説『中二階のある家』の結びのコトバの一行の、なんと印象に強く残ることか。「ミシュス、きみはどこにいるのだろう」(小笠原豊樹・訳、新潮文庫)。戯曲は舞台であるから、そのシーンが一場一幕と変わらないのだが、小説は映画のようにロシアの街並みを映す。そうして、チェーホフという作家は、私の場合、厚い毛襟のロングコートかインバネスに身を包み、シルクハットを脱ぐと、はえぎわからスピットカールが垂れ、ドアを開ければ外は吹雪、そのまま医療用の鞄をテーブルに置いて、暖炉の傍らに立ち、やおら手袋をとる。振り向いてドアが開いたままのことに気づいて、あわててそれを閉める。というふうになる。
/「雨が降ったら、雨が降ったとお書きなさい」と彼が言う時、これは表現の技術の問題ではなかった。たったひとつしかない彼の生き方、彼のえらんだ倫理をあらわしている/(同)などは、三島由紀夫のなんだったか、お手伝いさんが水を持って来る、そういうときは「水がきた」と書くのがいちばんいいのだ。に通ずるようで。私も戯曲を書くときは、この表現の簡潔性が、倫理とまではいかないが、自己表出として伝わるようには心がけている。とはいえ、日本の多くの劇作家が何故チェーホフを好むのかは、私には未だにワカラナイ。日本のチェーホフなどといわれる太宰治にしても、私ならチェーホフのほうをロシアの太宰治と呼びたいくらいだ。しかし至らなん哉、太宰の戯曲は良くない。ただ小説の題材を戯曲の形式になおしただけというふうで、『春の枯葉』も『冬の花火』も文体が劇のコトバではナイ。あれを通過して劇のコトバ、戯曲言語は生まれる。小説は話体が生きているのに、戯曲で逆に話体が死んでしまって、あんなのを語らされる役者は迷惑至極だろう。
チェーホフの『かもめ』で、ニーナ(これもほんまは長い名前で、ニーナ・ミハイロヴナ・ザレーチナヤ)がトリゴーリン(こっちはボリス・アレクセーエヴィチ・トリゴーリンときている)に棄てられるまで、都会でどんな生活をおくったのか、スピンオフのように戯曲にしてみようかという企みもあるにはあるが、さほどやる気はナイので、誰かそのアイデアでおやりになれば。

tea break 『内角の和』を御馳走になる・3

「舞台上の劇について語るならば、ともあれ舞台という秩序のなかで、自己の内部の幻想を外化する際に不可避なものとして存在する、と自分に思えるものについて語る以外ないだろう。それは言葉であっても、肉体であってもよいが、私にとってはそれらを一回性という場のリズムとして同時に意識化する俳優という存在をおいてほかにない」(『明日の演劇空間』について-書評・尾崎宏次著『明日の演劇空間』)という冒頭だ。こういう文言に出あうと、頭とか目がクラクラするから、という者がいるだろうが、それは、オーケストラの楽譜や、ゲーデルの不完全性定理の数式を目前にしても同じことがいえる。理由は二つある。単純に不慣れなこと。もう一つは、書いているほうが、自身の言語規範(自己表出)の強い領域に引き込んで書いていること。一つめは無視することにして、まず味わっていこう。「舞台という秩序」、これ、もうワカンナイでしょ。「法という秩序」ならワカル。「秩序」の逆は「混沌」だ。この場合の「秩序」は舞台が舞台として機能するように整えられていること、さらに、そこは日常とは一線を画しているということ。「自己の内部の幻想を外化する際に不可避なものとして存在する」は訳すと「私が黙ってイメージするものを、何か可視的なものとするとき、避けられぬもの」。「外化」(可視的に対象化されるもの)が「私にとってはそれらを一回性という場のリズムとして同時に意識化する俳優という存在」。つまり、俳優というのは、一回性という場(舞台)に、リズムという形態をもって、対象化されるもの、だ、ということ。(よけいにワカラン。失礼しました)。ともあれ、スズキ氏の言説には「一回性」「リズム」がこのアトもよく出てくる。当時、この「一回性」というのは、先輩たちもよく用いていたと思うのだが、私にはよくワカランものだった。たしかに演劇は映画とはチガウから、コピーは出来ない。しかし、落語や歌謡も一回性といえば一回性ではないか。もっといえば、戦争も一回性だ。勝ったり負けたり、負けたからナシにしてもう一回とはいかない。それで滅びる国もある。ただ、戦争は現実だ。演劇は虚構なのだから、一回性ということはナイんじゃないかなあと、実はいまでも私はそう思っている。同じ演目でもその日のマチネとソワレでは出来の善し悪しがある。アタリマエだ。その日たまたま生理が早く来て、青息吐息の女優だっているだろう。風邪で声が出なくなった役者もいるだろう。そういう意味の一回性ではなく、もっと表現としての一回性なのだろうが、それなら、一発勝負といったほうがワカリが早い。では何故に一回性なのか。スズキ氏は、それを観客との関係においてと、している。これも後々よく出てくるキーワードだ。スタニスラフスキーが問題にせず、ブレヒトが教育される者、啓蒙される者と見做した観客は、スズキ氏にとっては演劇において欠かすことの出来ないファクターだったと思われる。おそらくこの先見性、というか、コロンブスの玉子の発見は、極めて重要なものだ。観客をどう考えるか、という設問に、論理的に答えられる劇作家、演出者、演技者は、いまなおさほど多くはいないはずだ。それが証拠に、思い出してごらんコオロギよ。ワークショップとやらで、観客について教わったか。ん。どうなの。

tea break 『内角の和』を御馳走になる・2

スズキ氏と私の演劇に対する関係と了解の違いは、スズキ氏の場合には、「自らの演劇を他の演劇、また、歴史文化においてどう考え、どう実践していくか」であり、私の場合は、「私の一生をムチャクチャにした演劇というものが何なのか、ケジメをつけたい」だ。これは私が私の演劇を負の遺産だと思っているということではナイ。ムチャクチャというのは、かなりオモシロイことだからだ。三流のエロ小説で女がベッドでいう、「私をムチャクチャにしてっ」とおんなじ。従って、スズキ氏のように「自らにとって演劇とは何か」を問おうなどとは、私は微塵も思っていない。私はただ「演劇とは何か」が知りたいだけだ。この点だけは、ハッキリとチガウ。自らにとっての演劇なんぞは、とうにワカッテいることだからだ。そんなことは、もう十二分に了解している。命なんぞいくらでも人生にくれてやれ。昭和の漫才師花菱アチャコの「何がなんやら、もうムチャクチャでごじりゃりますがな」でよろしい。「愛とは、ムチャクチャのことです」「神とはムチャクチャですな」「食っていくということはムチャクチャだ」ということになる。
「歌右衛門にふれながら」では、俳優の奇形性をめぐって、「云々すべき個性とは、むしろ自己の制約への関わり方の方法によって決定されてくる」という命題から、「女形の芸の要点は女を真似るのではなく、男の肉体を殺すのだそうである」として「殺すという以上、対象を措定する意識が個体の裡(引用者:注・この場合の裡-うち-は、内ではなく裏と解す)に発生するわけである」という魅惑的な論理が続く。そうして芳沢あやめ(引用者:注・「あやめ草」の作者、元禄時代の名女形。「あやめ草」を収録した『役者論語』は極めてオモシロイ)というヒジョウに極端な役者の演技の在り方に至る。私たちは運良く神戸浩という希なるハンディを持った演技者に触れることによって、身体というものを考えなおすきっかけを与えられた。というのは、彼の演技そのものというよりも、彼が役者を志して、さまざまな劇団に入団を申し込み、すべて「そのカラダでは無理だ」と断られた現実から、演技論というものは、五体満足というふうにいわれる者(そんなものがどんなものだか知らんけど)にのみ通用せしめるものでは、まさに論理のほうにこそ欠陥があると、知らしめられたことだ。翻って俯瞰すれば、この、いま、云々出来る個性とやらを持った演技者は存在するのだろうか。肉体それ自体としてはブロイラー化が進み、俳優というのは、身体で身体を観念化する営為をさらに身体で識っていなければならないという、真っ当な作業すら自覚せぬまま、まず、食い扶持を、就職先を決めなければ、演劇などやってはおれぬという、なんとまあ正しい生き方を模索して、それならそれで演劇なんざ、やらなきゃイイのに、俳優のふりがしてみたい、お芝居をやりながら友達が増やせたら、という真逆の閉じ籠もり生活をしている連中は、すでに人生のほうから棒にふられてしまっているという受動的虚無負債者でしかない。この、いま、積極的逃避としての反抗の演劇は、さがすほどに逃げる愛のようものだ。てのは、どうかな。(本歌は中島みゆき『砂の船』の一節)

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