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2012年4月 7日 (土)

続・恋愛的演劇論(実践編)・16

『x 相互関係』で述べられていることは、弁証法の考え方のひとつ、「対立物の相互浸透」にほぼ該当する。ほぼというのは、スタ・システムに書かれてあることがもし、そこから想起されたことだとしても、稚拙で咀嚼しきれていない感が強いからだ。この弁証法の方法をけっこう積極的に用いて稽古しているのは、関西の劇団『空の駅舎』の中村賢司のように思える。彼は弁証法を西研さんから入っているようで、西研さんは、フッサール現象学に造詣の深い竹田青嗣さんとの共作も多い。
スタ・システムにおける「相互関係」においては、自分自身との相互関係において、教師が興味深い発言をしている。「私の中にある中心は、一般に知られている頭脳のほかに、心臓のすぐそばの太陽神経叢のある部分に、第二の中心がある、と注意されたことだ」「そして、脳中枢が意識の話し手で、太陽神経叢は感性の話し手であるように感じられてきた」「これまで欠けていた主体や客体が、これでどうやら自分の中に見つかったようだ」。ここまで取り上げておきながら、これはそのまま教師の経験談として終わる。教師自身が「それが正しいかどうか、私が感じたことが学問上も承認されるかどうかを、いまここで検討するつもりはない」というコトバをもって。これは充分、科学的に検討するに値することだ。こんなオイシイ問題提起をしておきながら、「ほかの人物が話す段になると、相手の考えていることに注意したり、それを受け止めたりはせずに、次のきっかけがくるまで、演技することをあっさりやめてしまう」「君たちは、自分の考えを他人につたえるとともに、それが相手の意識や感情にどう届いたかをさらに追求することを勉強しなければならない」などという俗論に走る。こういうところは私にとって最も苛立つところだ。さらに突拍子もナイことが提出される。相互関係の生ずる原因、あるいはそれを行う方法として「放射線の発送と放射線の受領、放射とその受領と呼ぶのはどうか」という提起がなされ、そこからそれがどんなものであるのかが記されているのだが、これをあるメタファーだとしても、読む分にはナンのことかさっぱりワカラナイ。しかし、あきらかにこの「放射線」というシロモノはメタファーではなさそうだ。これが「学問上に承認されていた」とはとても思えない。スタ・システムの信奉者に是非、訊いてみたいものだ。ほかに、この「相互関係」においてみるべきものは何もナイ。

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