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2012年4月29日 (日)

ゴジラ

「賑やかし」というコトバがある。朝から近隣の中学校のグランドを借用して、某高校のブラスバンドが特訓らしい。バス3台を連ねてのお出ましで、さて、その音楽を「うるさい」と聞くか、「賑やか」と聞くか。突然の7月上旬並みの気温に、窓は開けっ放しだから、オーディオの音も半分くらいしか聞こえない。そっちを左耳で聞き、右耳からはブラバンだ。ブラスバンドというのは音楽のどういうジャンルになるのか、よくは知らぬ。しかしやはり「賑やかし」だろう。ともかく力一杯。おまけに、編成は視覚的にもなっていて、要するに動くワケだ。オケピで演奏するワケではナイ。眼が殆どダメなので、今日はパソコン仕事はやめて、読書程度にしておく。昨日は、想流私塾17期の面接。一昨日は実家。実家では、弟の持ってきた東宝『ゴジラ』を4本ばかり観る。もちろん、弟とゴジラの話題を肴にして。あの作品は何作目だったか、あの作品では誰々がどうだったか、『ガメラ』に圧されて、Gの称号を奪われた時期もあったなとか。なんといっても、新生ゴジラの二作目『対ビオランテ』が傑作だろうとか。『ゴジラ・final』では、いろいろとゴジラ関係者がご出演、ゴジラの顔も初期ゴジラに、もどしてある、とか。ゴジラ細胞シリーズが何作あったとか。その他いろいろと突っ込みを入れて。なかなかこういう時間が名古屋では持てないので、貴重な時間なのだナ、けっこう。で、酔いもまわって、これ以上はちょっとなというところで、寝室へ。三分の二置いてきた本棚を眺めて、『内角の和』(鈴木忠志・而立書房)を発見。これは、いま演劇評論家で、当時編集者だったMさんから頂戴した本なのだが、そういや、食わず嫌いで読んでナイ。開いて、ちょいと読むと、けっこう面白そうなので、持ってかえってきた。よって、今日は、それを読んでいたというワケ。1970年前後に書かれたもので、なるほど、当時の演劇青年や演劇インテリが、鈴木忠志氏に傾倒していった理由がよくワカル。おそらく当時、これ以上の演劇論は無かったと思う。要するに、演劇界のゴジラだな。鈴木氏は演劇の熱い時代に熱く闘争した、と。あまりいい噂、評判は聞いたことはナイが、おこがましくいえば、その論理はたいしたもんだという気がした。いやどうも、失敬です、まことにおこがましい。恐縮至極。輸入演劇学かと思い込んでいた私がバカでした、ワ。ちょっと掴みかねるというところがあるが、概ねは鈴木実存的演劇とでもいえばいいのか。パッチワークな部分や、すでに死んでいる部分もあるが、けっきょく、突きつけている問題提起はいまなお、通用する。というか、それだけ問題提起をしておいて、どうしてそれを解決させずに権威に甘んじたのか、なるほど、権威なんてのは、自分がつくるもんじゃなく、他人が持ち上げるものだということは、重々承知しているが、いまの時代は、演劇は熱くはなく平衡状態で、いわば、プチプチ・スズキタダシが横行しているだけですぜ。と、いうワケで、『続・恋愛的演劇論』は、ちょいとtea breakして、このオイシイ本を御馳走になりましょう。 

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