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2012年4月 9日 (月)

続・恋愛的演劇論(実践編)・19

なぜ私が私の演劇論を『恋愛的演劇論』と称するのか。それは特に奇をてらってのことではナイ。基本的に演劇というものの本質は「恋愛」だからだ。スタニスラフスキー、及びそのシステムをくさすように書いているようで、不愉快な読者もあるかも知れないが、スタニスラフスキーというひとは「善良なひと」だったと思う。ともかくも俳優であって、自身の演技を通して演技論のシステムを考えようとしたのだから。つまりそれは、自身の恋愛を通じて「恋愛」をシステム化しようという、困難というより不可能な仕事といったほうがイイ。男性は女性を好きになる、女性は男性を好きになる、べつに同性どうしでもかまやしない。ともかくも両者においては、それは恋愛だ。そうしてそれは「演劇」だ。何故なら、恋愛はエロスであり、タナトスだからだ。エロス(生)とタナトス(死)というのはまた生物の「進化」の根源だ。恋愛において、彼の役は彼であり、彼女の役は彼女だ。そこで、彼は彼を演じ、彼女は彼女を演じる。これは現実のうちで最も切実なものの虚構化だ。現実のうちで最も切実なもの、それこそは「恋愛」だろう。従って、「進化というのは恋愛の歴史だ」といってイイ。たとえば、それはこういうふうにいつものように記号式に出来る。
(A1)という個体があって、それが、(1)と恋愛するのを(A1)♡(1)というふうにすれば、(A1)の数値を増やしていけば(A・・n)になる。相手方の数値を増やしていけば(n)だから、(An)♡(n)ということになる。このAはBであってもかまわない。その場合は(Bn)♡(n)だ。組み合わせを多くしようとすれば、(Aa)とすればイイ。そうすると(Aa)や(Ab)が出来る。もちろん(Ba)も出来る。この連続が進化であり、現存しているものが、そのうちのどれかということになる。
振り返って考えれば、私たちは「劇、それ自体」を「進化の夢の表現」として提出した。なるほど、それは一種のロマンチシズムかも知れない。しかし、社会主義リアリズムがあるならば、北村想主義リアリズムもあり、北村想主義ロマンチシズムもあるのだ。社会主義リアリズムが歴史の産物で、北村想リアリズムが固有の幻想だなどというのは、大きなマチガイだ。なぜなら、社会主義リアリズムを信奉したのは固有の幻想にしか過ぎないのだからだ。歴史と固有史の結びつけ方を、私は、そういうふうには了解しない。歴史や国家が共同幻想であって、固有史が個的幻想だという関係づけもしない。そんなものは『共同幻想論』の誤読にしか過ぎない。また個的幻想が集まって共同幻想になるなどという馬鹿げた理論も排斥する。共同幻想に個的幻想がどのように介入(侵犯、侵入)していくのか、あるいはその逆はどうなのか、問題のありどころは、そこだからだ。
さて、次回からは、日本における新劇のパイオニアが、スタ・システムやリアリズムに対して、どう対応してきたのかに課題を移しながら、実践(具体的事象)から、それらを観ていくことにする。

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