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2012年4月 8日 (日)

続・恋愛的演劇論(実践編)・18

~「私がみているところの相手役の表現」を私が(私の表現としてみて)いる~というのは、べつに難しいことをいっているのではナイ。恋愛に則していえば、たいていの恋愛の「きっかけ」「恋する基準」はこういうドクサ(思い込み)から始まっている。いわゆる「妄想の確信(確信的妄想)」だ。くだいていえば「このひとはきっと、こんなひとにちがいない」というものだ。何の根拠もナイ。とはいえ、論拠となる手前味噌な妄想の展開だけは在る。「自分の役が表現された自己」ならば、相手役は「自己によって表現された他者」ということになる。こと恋愛というものは、そういう初期値を持っている。そうして、その初期値に対してどの程度の妥協が許容されるか、あるいは、「思った以上」の違った発見に対しての興味や好奇を以て、アタリになるかハズレになるかするだけだ。そんなことは経験上、百も承知なのに、同じこと(恋愛)を、殆ど反省することなく繰り返すのは、それを忘却してしまうからではナイ。おそらく、それは天文学的にしか当選の確率のナイ宝くじを、性懲りもなく何度も買い求めるのと同じことだ。
dy=f(dx+|a|)の右項には、絶対値としての観客視線が含まれる。これは偏角sineθの絶対値によって平面座標の(x・y)を決定するのだが、微細にいえば、ここに、相手役は「自己によって表現された他者」という成分を迎え入れる視線が介入してくる。それらのfunction(操作)によって、dy=[主体(演技者)-役(対象)]が決まる。これは関数座標なのだが、静止点ではナイ。時間(h)を含むから、dy=f(dx+|a|)/h→hn、あるいは時間hをt(time)とするならhn→をtn→にすればすむことだ。この場合のnが何であるのかは、時間の変遷を示したものだ。矢印(→)がついているので、時間が経って(hが増えていく)という意味に解する。これをh→h±とすると、写像になるので、混乱を避けるために使えない。絶対値の|a|も、sineθの絶対値だということを示したければ、∠sineθ|a|と記せばイイ。さらに、演技における相互関係というものをC(combination)として、その要素の集合として、上記の数式を書き直せば、C={(x・y)|dy=f(dx+∠sineθ|a|)/h→hn、}というふうなる。とはいえ、何度もいうが、こんなものが数学にあるのか(数式として認められるのか)どうかは知らん。当方がただワカリヤスイように記号配列したに過ぎない。では、何故、こんな手間なことと思えるようなことをするのか、それは「抽象的」「普遍性」として事象を扱うためだ。しかし、演技って個性的な、具体的、具象的、特殊性なもんじゃナイんですか、という反論は当然、出てきてアタリマエだ。そう思わないほうがどうかしている。ところで、こういう数式のような抽象性がきらいなくせに、私が「演じることとは何ですか」「演技とは何ですか」と個々人に問うていくと、殆どが唸って考え込み、「抽象的な」答えを提示するのだ。つまり、ココロのどこそこかで、「演じる・演技する」というのは抽象的なものだと思い込んでいるのだ。そこで私はいう。「あなたが、戯曲(俗にマチガッテいうところの台本)を手にして、自分の役をたしかめて、それからナニをするのかをいえば、それでイイんです」。その個々人の特殊性から普遍性へ、具体性から抽象性へ、演繹から帰納へと、コトバを導くことを論理というのだ。そのための方便として、数学もどきの数式もどきを使っているに過ぎない。本音をいえば、私が最も欲している演技論は「どうやったら正しくせりふがおぼえられるか。そうしてそれをマチガエズに使えるか」程度のものだ。

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