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2012年4月26日 (木)

春雨だ濡れて行こう

タイトルは、新国劇の『月形半平太』の名台詞からとられているが、正確には「濡れて参ろう」になる。武市半平太をモデルにしたといわれる、芸者雛菊との道行の名シーン。ほろ酔いの半平太が相合い傘で、そういう。こっちは、そんな浪漫ではナイ。衣替えのための、衣裳ケースの整理がやっと出来た。暑くなったり寒かったり、ここで、という機会が難しかったが、昼飯前にやってしまった。朝から雨だったが、敢行。やってる最中に袖を通したことのないセーターが二着出てきた。これは、去年の引っ越しのときにも気がついていて忘却したことなのだが、べつに手編みというのではナイ。前妻さんのときからあったものだろうが、一度もその暮らしの中で観たことも着たこともナイ。今年の冬も着なかった。次ぎの冬は着てみるかと思って、すぐに太宰の『晩年』の「葉」の最初のくだりを憶い出した。案外、あれは作話ではなく、ほんとうのことだったのかも知れない。
avecビースのサイトを観て、ひょいと関連ブログに跳んだ。ああ、なるほどと、その演出家の舞台の観方を納得した。演劇の舞台なんぞは論えば、いくらでも欠陥はみえてくる。ホン、演出、役者、演技、キリがナイ。私は、未だ名もない女性演出家を諭したことがある。彼女は負けず嫌いで勘鋭く、さまざまな名もない小劇場の舞台を観ては、不平不満たらたらだったからだ。演出の勉強がしたかったら、けして観た舞台の短所、欠陥、ダメな部分を捜すな。そこは必ず「自分ならこうやれるのに」「こうやるべきなのに」という、自身が引き寄せることの可能な幻想に入っていける場所だ。しかし、観方を変えれば単純にそこは自身の幻想との異なる部分でしかナイ。私のテクストに「奉仕」しているかのようにみえる役者に不満を持つ前に、私のテクストと向かい合うことがどれだけしんどい作業かを考えてみるがいいのだ。テクストと抗うことなどと、偉そうなことをいう前に、高校演劇をこえられない、我が身の演出リテラシーに、疑問の一つも持ったほうがイイのだ。「役者とは何ぞや」「テクストとは何ぞや」と公案じみたことを述べて悦にいるくらいなら、本気でそれを学んでみればイイのだ。誰でも幻想(観念)の領域では、最上のものをimageすることが出来る。だから、ほんとうにそれを批判するには、それをこえる、幻想ではナイ、実際の舞台を創るしか方法はナイのだ。何かを学ぶ途上にあるのなら、どんな芝居を観ても、何処でもイイから、「ここだけは自分ではマネ出来ない」と思う部分をみつけるべきだ。学ぶ、ということは、ほんとうはそれが出来るプラチックだ。まあ、学ぶ気がナイのなら、まったく蛙の面に小便ですけども、ネ。
衣裳を整理し終わって、新しく買った布団の下敷き簀の子の上に布団を敷いた。和桐のいい香がした。今年はちょっとはいい夏が来ますように。

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