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2012年3月18日 (日)

続・恋愛的演劇論・9

『聴覚言語発生説』についてフイルド・ワーク(何処かの壁面に穿った記号があるかどうかを調査)することは、私にとっては不可能なので、これは机上の論だ。ただし、空論とまでは卑下しないでおく。もし、この壁面に穿った痕跡が、○が〇になったりしていたとすれば、そこには違った意味が与えられるはずだ。これが△、▽、◁、▷、になってくれば、みおぼえのある楽曲のscoreとよく似たものになる。crescendo<、decrescendo>、♪、やppp ピアニッシッシモ、pp ピアニッシモ 、p ピアノ 、など楽譜も一つの音楽の文字だ。ただし、あくまで「音楽の」であって、文字というのは、ここに書かれているような書き文字をいう。似たものは数式の記号の中にも現れる。その宇宙人の描いたような記号群をみて、そこで私たちはたいてい数学を諦めるのだが、h→0という簡単な数式なら微分方程式にも登場する。hはhour(時間)のhで、矢印の先に0があるということは、時間を限りなく0に近づけるという意味だ。私にとって微分方程式を解けといわれても出来ない相談だが、y=f(x)のfがfunction(操作)だということがワカッタら、xを操作して、この場合は(input)入力して、出てくるもの(output)がyと等しいということがワカル。この手のものは、携帯メールの絵文字と同じようなものだ。論理というものは、せいぜい当初は固有の(自分だけの)ものだから、自分がワカルように、勝手に数式をつくることも出来る。たとえば、演技においてブレヒトの異化とは何ですかという質問をたまにされるが、同化(こっちはスタニスラフスキーや、リトラスバーグ)とブレヒトの異化を考えるとき、異化を「イカ」にして、同化を「タコ」にして、よく似ているがチガウという記号を等号(=)に似せて(≡)にしたり(∥)にしたりすると、イカ∥タコ(あるいはイカ≡タコ)と書ける。異化も同化も演技に含まれる方法論と演技者との関係をいったもので、ここでその詳細な解説は字数を割くのでヤメルが、そんなもんだと思っておけばイイ。また∧(山記号)は、物理学ではハットと読まれ「作用素(量子力学における運動量)」を表すのだが、測定値と運動量の区別に用いられる。これは♨(温泉マーク)が温泉記号と称され、地図において温泉の位置を示す地図記号と同時に、公衆浴場施設、古くは連れ込み旅館を示す記号にも用いられたのと同じようなものだが、先日、故人になられた吉本さんは、文章の中で、このハット記号を多用されたことでも知られている。おそらくは東工大の出身である吉本さんにとって、その文章(の熟語)は作用素として他の同義言語との区別となっていたものと思われる。
「伝える」「伝わる」については、このアト、続・恋愛的演劇論(実践編)に引き継ぐつもりだが、もう一つだけ、よく訊かれるのに「即自的」と「対自的」の区別がうまくつきにくいというのがあるので、説明を加えておく。この区別がつきにくいのは、どちらも自分を相手にしているからで、それなら「即自」というのはけっきょくは「対自」とどうようではナイのかというところに発している。「対他」は対象が自分とは他にあるのでワカリヤスイが、「即自」と「対自」は対象が自分だ。最も簡単な具体例を示すとすれば、私たちは呼吸をしている。これはふだん意識されるものではナイ。しかし、心臓の鼓動とは違って自分の意志で途切れさせることが出来る。この呼吸が自然に行われている場合を「即自的」とするならば、意識的に呼吸を止めた場合は「対自的」になる。自らを対象としない「自ら」の場合は「即自的」、自らを対象とした「自ら」の場合は「対自的」。ともかくも「即」なのだから、恋心において、一目惚れというのは「対他的」のようにみえるが、ほんとうは「即自的」だといってもイイのだ。

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