続・恋愛的演劇論・2
「演劇とは何ですか」と問われれば、「戯曲という書かれた劇」と、それを写像した「舞台で演じられる劇」と答えればイイ。あるいは、両者は架橋されていると。「戯曲と演じられる劇の転換は」と問われれば、「戯曲の台本化に依る」と答えればイイ。つまり両者は恋人のようなものです、と。従って「恋愛的演劇論」なのだ。さらに「では、劇とは何ですか」と問われれば、「生命進化のロマンチシズムです」と答えればイイ。「そのロマンチシズムとは何ですか」を問われれば、「生命体が進化の過程でDNAに刻んできた物語」と答えればイイ。そこで、次なる質問は、「では、劇は虚構ですか」になる。この問いには「生命進化は現実のことではありませんか」という反証が含まれている。そこでこの『続・恋愛的演劇論』では、「現実」と「虚構」について、解き明かそうとしているのだ。この問題において、私たちが保有しているのは次の二つの命題だ。「世界(自然)は私の表現である」「私は世界(自然)の表現である」。この「表現」というものから演繹的に命題に辿り着くか、または逆に命題を帰納出来ればイイことになる。それは「表現」というものの「現実」と「虚構」の「ナンであるか」を解き明かせばイイということだ。『劇、それ自体』からの、私たちの仕事はそういうところにある。
これは本質論だ。もちろん情況論が必要なことは承知している。従って『続・恋愛的演劇論』では、情況を俯瞰するようなカタチで進められればなおイイ。ただ、本質論と情況論の違い(その難しさ)は、東京、名古屋、関西圏では、演劇の情況がまるで違うというところにある。そういう意味においても、全情況的な「うつ病」を互換的、相補的に扱うことになる。何故なら、「演劇」と「うつ病」には、コード化(同一化)出来るものがあると予感しているからだ。そうしてそれは、「現実」「虚構」に踏み込むことによって、可能なのではないかと考えている。
「空間」というものがある。「時間」というものがある。「関係」と「了解」があるように。さすれば「速度」は何処にあるのか。これがワカラナイ。しかし、必ず、「速度」に対応するものがあるはずなのだ。と、そこまでは気付いているのだけど。うーむ、難しい。
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