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2012年3月16日 (金)

試写『MY HOUSE』

堤幸彦監督のこの作品は、「ひとの生き方」というよりも、もっと率直に、ホームレス(というか、公園生活者)愛称スーさん(いとうたかお)の「家庭という生活の仕方」というものを描いたものだ。だから、物語のプロトタイプさと、人間のステロタイプさは、あまり問題ではナイ。スミちゃん(石田えり)の造形もあってか、私は途中でフェリーニの『道』をふいに思い浮かべてしまったが、そのせいか、潔癖症の母と厳格さを装っている父を持ち、進学塾に通う多感を胸にしまいこんだ少年ショータが、スミちゃんを金属バットで殴るシーンは、おこがましくいうのなら、私なら、ショータが金属バットを振り上げて、両者が睨み合い、ショータはついに殴ることは出来ず逃げ出して、その行為をこっそり観ていた悪友がコインランドリーで、ショータの代わりに遂行する、というふうにしたろうと思う。でないと、そのアト、スミちゃんが、コインランドリーに夜中に出かけていくという希なことをする理由づけがつけられない。少年を蹴散らかしたからこそ、うきうきと出かけて行く、としたろうと思う。もう一つだけ、スーさんならば、スミちゃんを医者に診せたはずだ。おそらく世間の人々は、ホームレスも気楽でイイが、病気や怪我になったらタイヘンよね、と、思っているだろうが、医者、病院、救急医療施設は、治療してくれるのだ。もちろん、銭のとれる相手ではナイことは百も承知だから、のっけからさっさと診て、お早くお帰りねがうのだが、つまり、面倒な患者なのだが、そうしないことには仕方がないし、ホームレスのほうもまた、そのことはよく知っている。あまり何度も倒れたり、癌だったりすると、それなりの施設に入ってもらうということになる。とはいえ、これは「家庭論」の映画だ。途中、何度もショータの塾がインサートされるが、もちろんのこと、授業料の高い塾には、それなりの賃金をもらった優秀な講師がいる。そこで学べる小学生、中学生、高校生の生徒は、高額所得者の子供たちだ。彼らはそうして大人になり、家督となり家業を継いでいく。この国が相も変わらずなのは、そういう循環に一因が在る。ついでにいえば、スーさんとスミちゃんのMY HOUSEは、私の住んでいるスラムアパートより住みやすそうに感じた。そういうふうに観客に思わせただけでも、この映画を堤監督が撮りたかった理由に納得がいくというものだ。

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