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2012年3月 3日 (土)

用語解説

ブログで私が使用している用語の解説(みたいなこと)をしておきたい。
まず、「精神的」と「心的」の違いは、そのアトに「現象」を付けるとワカリヤスイ。「心的現象」というのは、主に身体性(肉体・内臓系統)とココロの関連を扱うときに用いる。この「心的現象(ココロと身体・内臓における関係と了解の精神現象)」と「知覚精神現象」を合わせて「精神現象」と称する。この定義は『心的現象論(吉本隆明・著)』に拠る。ただし、『心的現象論』は精神医学を論じた書ではナイ。
「表出」と「表現」の違いは、「表出」は具体性をいわないが、「表現」になると、どういうカタチ(形態)のものが表出されたのかの具体的な個々、固有のカテゴリーをいうことになる。つまり、表出されたものが、「音声」なのか、「書き文字」なのか、単に「コトバ」なのか、「身体の動き」なのか、「創作された作品」なのかという理解で足りると思う。「表出」はそれ自体が抽象的、観念的、概念的、で、たとえば「視線」や「聴取」や「触手」や「痛感」も表出といえる。

「ゆらぎ」というコトバは、物理学によく登場するが、書き文字や聞いた感じにおいて、何かが「ゆらいでいる」というふうに認識してしまうが、それであながちマチガイというのではナイ。物理学にいえば、「局所的な小さな秩序(エネルギーの規則的な運動)」をいう、と私なりには識知している。近年この「ゆらぎ」が多く論じられるようになったのは、イリヤ・プリゴジンの『散逸構造論』に因る。私はプリゴジンの著作は『混沌からの秩序』しか読んでいないが(それも、またいつものように悪戦苦闘しつつ)、それを理解したのは、ある数学者タレントが視聴率について、視聴率というのは、大鍋のスープの味が小匙(スプーン)一杯でワカルのと同様のことだと、解説したのを聞いたときで、「ちょっと待て、それには大鍋のスープが均質であるという前提が必要なのではナイか」と疑問を感じたときだ。このとき、ああそうか、そういうことかと、エントロピー(熱力学の第二法則)に逆行する、非平衡宇宙の散逸構造というものがやっと理解出来た。そうでナイと、人間のような生物は存在し(生まれてくる可能性が)ナイ。何故なら、固有の人間こそが「ゆらぎ」そのものだからだ。つまり、人間は「散逸構造」であるということも可能だ。
「疎外」というのは、辞書を引いてもなんのことかワカランという読者が多勢だろうと思う。ましてや「表出」=「疎外」といわれると、ますますワカランということになる。さらに「現実」と「虚構」は「疎外関係にある」(というふうに理論づけたいのだが)になると、まったくなんのことだということになるだろうから、本来はマルクスの自然哲学からきているこのコトバは、なるたけ用いないようにしながら、今後もその概念は扱っていくことにしたい。私なりに、「疎外」を用いずに、「疎外」がいえるようになれば、それがイチバンいいのだと考えている。ただし、この「疎外」(あるいは「表出=疎外」)が理解出来ると、ほんとはコトは早いんだけど。

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