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2012年3月11日 (日)

マラソンの兵法、或いは実況解説者というアホ

名古屋女子マラソンの中継をテレビで観終わったばかりだ。感想を書く。まず、相も変わらぬ実況解説者のアホさ加減。少なくとも、素人の私たちが観ていることとの相違くらいは述べなければいけない。観た通りのことをいっているだけだ。実況は実況アナだけでいいんじゃないか。たとえば、野口みずきの先頭集団への復帰は、彼女が150メートル離されて、その後、自らの時計に眼をやったときに気付くのが普通ではないか。実況解説者は驚くばかりで、そんなものは、野球で8番バッターがホームランを打ったことに驚いているようなものだ。野口みずき選手は、時計を観て(この映像を見逃してはアカン)、先頭集団との離され具合を観て、現時点の自身の速度と力量から追いつけると確信したはずだ。そこで、追いつくのには、どう走りを立て直せばイイのか、と、そのとおりにやって追いついた。ただ、野口みずき選手の失敗は、実況解説者が前半の彼女の走りについて述べていたように、彼女が引っ張ったカタチになっているのはどうか、などではなく(あれは、彼女なりに、1時間23分あたりで走り抜くには、どの程度のピッチで走ればいいのかという、レース展開の組み立てを考えての走りであったことに、実況解説者はまったく気付いていない。それどころか、彼女の速さに心配までしているという、アホのさらけ出しなのだが)、先頭集団に追いついたアトの、いわゆる仕掛けが早すぎたことに尽きる。このまま、一気にと思うのは、追いついた者の心情としてはワカランでもナイけれど、あそこで、35㎞あたりまで我慢をしていれば、レースは違うものになっていただろう。そういう我慢をして走ったロシアの招待選手が優勝するという結果に、実況解説者は、何も触れない。要するに、最初にレースのピッチが遅いということに気付いて走っていたのは野口みずき選手だけだ。いや、もう一人、優勝したロシアの選手の自己タイムがどれだけなのかにも触れられなかったが、彼女もまた、このタイムなら自己タイムでいずれ追いついて、スパートすれば走りきれると計算したに違いない。マラソンは短距離レースではなく、ある種の頭脳戦だ。単純な駆け引きだけではなく、身体の訓練だけではなく、それなりの冷静な兵法を持たねば、単にそのときの体調やら意地やら根性やら思いやらで、コロコロと一位選手が変わってしまうだけのレースになる。本来、スポーツの分野において、毎度、優勝者が変わるというのもほんとうは奇異なることだ。そんなことになればプロボクシングのチャンプは、毎度変わることになってしまう。三位になった中里選手は、若さゆえにあそこまで走れて、若さゆえに負けた。それについては実況解説者が、ほのめかす程度に暗に語っていた経験の不足というのではナイ。経験の不足などというコトバは、この世界ではいってはイケナイ。経験が重要なら、走れるだけレースに出ればイイことになる。マラソンは長時間の闘いである以上、頭脳戦であり、心理戦だ。実況解説者は、応援団ではナイ。自分がいったことが結果的にマチガッテしまっても(それをおそれて確固たることをいわないのだが)、情況に対して、理にかなった論を展開すべきだ。つまり、もうちょっと、勉強しろということだ。

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