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2012年3月26日 (月)

続・恋愛的演劇論(実践編)・3

ここは少々難しいかも知れないが、辛抱してもらいたい。「表出=疎外」(表出それ自体は疎外それ自体と同じということだが、これを端的に説明するためにやや語弊のあるかも知れないことを例示すると、私たちは、言語(コトバ)という表出表現の方法、手段を持っているが、常に「うまくいえないんですけど」に直面するし、また、うまくいえたとしても、いったコトバそのものが自らを縛る、束縛する、呪縛する、という事態に陥る。これは本質的なことだ。「思っているとおりにはいえない-書けないものだ」「思ったとおりにいった-書いたことで自らがそのコトバに逆に従属させられる」。と、こう理解しておくことにしてもらいたい)。ところで、それを「表現=疎外+加速度」という定式に変えてみると、加速度が加算されるので「表現≠疎外」となる。これを他の例で示せば、たとえば、私たちが、ムンクやゴッホの名画の前に佇み、感銘し、その作品に引き込まれていくようなココロの作用は、絵の持つ加速度(ここでは重力に因る加速度)による現象だということが出来る。加速度を運動量の「量」の変化ではなく、ベクトルとしての「質」の変化と捉えれば、加速度という運動量の変容が、ある心的作用を生じさせたといってイイ。もし、等速直線運動を速度の線型(-)、平衡系(-)として措定するならば、加速度は非線型(~)の「ゆらぎ」(~)と考えることも[概念の使い方の上では]可能だ。そうすると、前述の定式は「表現=疎外+加速度」→「表現=疎外+ゆらぎ」と書き直せる。これは、表現とは、表出にゆらぎが加算されたものを示している(「表出+ゆらぎ=表現」)。そこから当然ながら、「表現≠疎外」が導き出せる。そうすることによって「表出=疎外」という呪縛から「表現」を解放することが出来る(つまり「表出≠表現」、表出それ自体は、表現それ自体と同じではナイということだ)。そこで、「では何が、何故、加速するのか」というというのが残された問題となる。

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