無料ブログはココログ

« 続・恋愛的演劇論・3 | トップページ | マラソンの兵法、或いは実況解説者というアホ »

2012年3月 9日 (金)

続・恋愛的演劇論・4

シンデレラは何故シンデレラだったのか。本名をエラと称するこの娘は、灰だらけになって働く下女の身分だったから、「灰(Cinder)のエラ」でシンデレラと呼ばれるようになったらしいが、そういうことがいいたいワケではナイ。舞踏会に出かけて、王子の目にとまり、ガラスの靴がご縁で、愛でたし結婚。シンデレラ姫であるのは12時までの魔女の魔法ということなのだが、つまり、灰のエラでは、王子とは結婚なんて出来なかった。見初められなかったワケだ。シンデレラが12時までシンデレラ姫であるためには、ドレスやガラスの靴を必要としたワケだ。しかし、王子がガラスの靴を(もし、それが地下足袋であれば眼にもしなかったろうが)持って、シンデレラを捜し回り、ついに出逢ったシンデレラは灰のエラだった。ところが、シャルル・ペローは、王子に落胆させない。この灰のエラを妃に迎えるハピーエンドとする。何故かというと、王子には、灰のエラがシンデレラ姫であった「時」が刻み込まれているからだ。「時間の矢」はここでは意味を成さない。今一度、あのシンデレラ姫となることが出来るという確信を過去の「時間」は与えるのだから。私たちはここから二つのことを学ぶことが出来る。一つは、シンデレラがシンデレラ姫となるには、魔法という「虚構」が必要であったということ。王子は灰のエラに恋をしたのではナイ。「虚構」のシンデレラ姫に恋をしたのだ。よって、虚構は現実と交換することが出来る。これは『贈与交換』の在り方の一つだ。『贈与交換』は投企ではナイ。投資ではナイ。「虚構」と「現実」に関係するナニかだ。もう一つは「時間」というものだ。スタニスラフスキーの演技論である『俳優の仕事』の欠陥は、この「時間」にある。『俳優の仕事』は素人の俳優をプロの俳優にするプロセスを描いているが、つまり、ほんものの名優からその固有性を脱落させて、一般性、普遍性を取り出そうという試みだが、それは方法論としては正しいかも知れない。しかし、そこには「時間」というものが欠落している。曰く「時間をかけないとウイスキーは熟さない」だ。この点では「花伝書」は役者を創る「時間論」だ。ただし、それには一子相伝という条件が要る。シンデレラは「時間」の物語だ。12時まで、という喩がそれをみごとに物語っている。12時までは「虚構」だが、12時を過ぎれば「現実」になる。だが、しかし、ペローはひとつだけ、12時を過ぎても存在する「虚構」を残した。ガラスの靴だ。ガラスの靴だけが、何故、馬車がカボチャに変わるように、元の靴にもどらなかったのか。この矛盾は、「突っ込みどころ」ではナイ。「虚構」の在り方を探る、ヒントだと思われる。

« 続・恋愛的演劇論・3 | トップページ | マラソンの兵法、或いは実況解説者というアホ »

演劇」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558792/54181440

この記事へのトラックバック一覧です: 続・恋愛的演劇論・4:

« 続・恋愛的演劇論・3 | トップページ | マラソンの兵法、或いは実況解説者というアホ »