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2012年3月27日 (火)

続・恋愛的演劇論(実践編)・5

演劇(演技)論を展開するのに数学を使うのは数学が得意だからではナイ。その概念(考え方・方法)が適していると思われるからで、数学の他にも物理学もどきが出てきたりしているのはそのためだ。しかし、半可通の身でいうのもなんだが、スタニスラフスキー関係の演劇論を読むと(特にそうだからいうのだが、他のどんな演劇論にしても同じように)なんだか「道徳倫理」を説かれているような気がして、そっちのほうが、ヤになっちゃうのだ(なんだか面倒くさそうでつまんねえ、ガッコの授業みてえ、という、アレね)。数学は得意ではないので、どうしても一知半解になる。数学に達者な者は、私の使う数学に多くの誤謬をみているかも知れない。しかし、玉石混淆というコトバがある。私の数学の中にも玉だってあるだろう。
ここで「微分」というものを整理しておく(やや唐突、無造作に使ったかナという反省からだが)。「微分というのは、y=f(x)という関数の曲線における部分を限りなく小さくしていくこと」だ。私たちはそれをh→0という時間の凝縮(瞬間の速度を求める)として用いた。そうして求められた「加速度」という概念を演劇に応用した。さて、曲線全体は関数だから、xとyで現される(関数というのは一方の値-たとえばx-が決まると、それに対応してもう一方の値-y-が決まるというお約束だ)。このとき、xの成分をdxとする(成分というのは、この場合x軸に分布されている値だ)。どうようにyの成分をdyとする。つまりxとyの二つの成分に分けるということだ。これを微分係数という(なんでそういうのかは知らん。こういうのは数学者がそういうふうに名付けたのだから仕方がない。こういうのが頻繁に出てくるので、私たちは苦労が絶えない)。さて、ここから微分方程式へと話を移す。(もう少しついて来てネ)。方程式というのは「二つの関数を=(等号)で結んだ式」のことをいう。だから、微分方程式というのは、微分された二つの関数を=で結んだ式のことだ。そうして、微分方程式をザックリいえば、さきほどの微分係数(dy/dx)を「部分」として、その部分から全体を組み立てることだ。作業はジグソーパズルに似ている。しかし、これは、ほんとうは「部分」を観て「全体」を知るという数学的方法だ。もっといえば、「部分」を観れば「全体」が解るというシロモノだ。まるで手相占いのようなものだ。掌を観て、そのひとの全体を占うのだから。しかし、これほど便利な道具はナイゆえに、演技論にも応用が出来るのだ。「部分」と「全体」の関係を演劇において述べると、次のようになる。
○如何なる役者も演劇全体の部分である-(dx)や(dy)という成分だ-
○如何なる役者も演劇の部分として、演劇全体と関係している-(dy)や(dx)という成分による関数だ-
○如何なる役者も全体と合致している(全体と同じである)-(dy)や(dx)によって全てが出来ている-
よって、「微分方程式を解く」という作業は、演技者の、その演目における演技の役割を上記の三つの事象によって考察するということと同じことになる。これが、演劇への数学の応用だ。数学を用いると抽象的、普遍性なものが導ける。ふつう、演技のシステム、メソッド、他演技論は、たいてい、ある法則、論理があって、それを個人(演技者)に向けて「こうしなければならない」と説く。しかし私たちはそうしない。私たちは、演技者の固有性(具体性)が、私たちの求めた抽象的、普遍性に、どう関係し、演技者がそれをどう了解しているのかを考えていくという逆のプロセスを辿る。

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