如是想解・41
40 探偵は推理する(39のつづき)
①身体因性の場合、とある考えが浮かぶ。私たち(の中)には、雨の日の雨音を聞いていると眠くなる者がある。雨の日は眠い、私もそうだ。つまり、ある鎮静。それに反して、風の吹く音には神経が覚醒する感じがする。「雨がしとしと」「風がビュービュー(ビュンビュン)」では、身体がそれを受け取る受け取り方が違うのではないか。どちらも聴感覚だ。驟雨、夕立、は心地好いものだ。しかし、これが梅雨の雨となると「じとじと」という焦燥の感覚がやって来る。これらは、環境世界から身体が受け取るものにココロが作用(反応)しているとみてイイ。もうひとつ、寒い日に家に帰って厚い風呂に入る。逆に熱い夏の日に冷たいシャワーを浴びる。どちらも身体がその心地好さを感じている。身体はココロと密接につながっている証左だ。この身体とココロの結びつきは、その現象は、「身体のナニがココロのナニ」なのだろうか。ここから私たちは、私たちが環境世界とは違う生命体でありながら、環境世界と似たような部分を持っていると、推理していいのではなかろうか。前述した心地好さは、萎れかけた花に水をやって、花が持ち直すのと類似している。ところで、これから花粉症の季節(年中そうらしいけど)が始まる。私たちも一個の自然としての生物、生命体であるならば、同じ環境世界の花粉というものに、何故アレルギーという反応を起こすのだろうか。しかも、これは万人にではナイ。私はアレルギー反応の試験をして、すべてのアレルギーは「-(マイナス)」だった。のに関わらず、ストレスを感じる状態に置かれると、咳が出る。医者はいう「これは非アレルギー喘息ですね」このいい方は血圧の高い者がその原因を持たないとき「本態性高血圧だ」といわれるのと同じだ。私もそのホンタイセイコウケツアツなのだが、血圧など、あっという間に変動する。私の場合、ストレス性の微熱もあり、これも、37,6℃が、一時間もたたぬうちに36,5℃まで下がる。こういう身体とココロの相関する精神的、肉体的な現象を「心的現象」として、「知覚精神現象」と分けてみる。そうすると①のいわんとしていることは、どうも「知覚精神現象」とは異なるのではナイかと思われる。
ここで、マタニティ・ブルーを再考してみる。昨年の東日本大震災の際、私が最もインパクトを感じたのは、原発と水だ。これは原発事故と津波のことを直截にいっているのではナイ。原発の事故で、その災害をくいとめるために何が行われたか。セシウムがどう、ベクレルがどう、と、専門家がいろいろとマスコミでああだこうだと語っていることに、私は殆ど興味がなかった。私は、原発の事故に対して「水」がただ、延々とぶっかけられたということに、奇妙な感慨をおぼえた。要するに「水」なのだ。ただ、水をぶっかけているだけなのだ。原子力という最先端科学に対して、それに対抗する手段としてやっていることは水をぶっかけ続けていることだけなのだ。水がなければ、どうにもならないという事実に、私はちょっと驚嘆した。一方では津波という水の力で大災害となり、一方では大災害をくいとめるのに水の力が必要になっている。これはアナロジーではナイ。メタファーでもナイ。水、みず、ミズ、・・・かくして私の妄想は、母体の羊水の中に浮かぶ。胎児は出産という過程では、水の中から水の外に出されることになる。まるで魚類が両棲類として陸に上がったように。これを母体である母親(女性)はやってのける。進化の過程を胎内で創造し、そうして、最も苦しかっただろうエラ呼吸から肺呼吸への大転換を出産で成し遂げる。マタニティ・ブルーは、ここに要因をみてもよいのではないか。これは、極めて大きな「心的現象」といえるのではナイか。
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