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2012年2月24日 (金)

如是想解・16

36 鬱病についての一見解
いまもって謎、年間3万人の自殺者を出し、日本だけでも推定100万人の患者が存在し、患者は日増しに多くなり、という鬱病について。私自身30余年の鬱病者なのだが、最近では躁鬱の双極性が強く、ひどいときは、時間単位で入れ替わる。
で、これは、その経験から述べることではナイ。悔しいので、私なりにこの疾病について考えはしている。その一見解としていう。
鬱病発症の原因は、心因性(精神的疾患)とか、内因性(遺伝的疾患)とか、外因性(事故的疾患)とかではナイ。これらは、原因をあくまでも、患者の個人性に求めるが、もちろん、病気になるのは個人だから、個人の疾病ということにマチガイはナイ。しかし、原因は、個人自体にはナイ。この現在の環境世界の状況そのものと、個人との「関係」を個人がどのうように「了解」して、どう対処、対応しようとしたのか、その結果が原因だと仮定する。アタリマエじゃないか、どんな病気だってそうだろうといわれそうだが、鬱病の場合、少々異なる。つまりインフルエンザなどのように流行性疾患が世間で流行して、ウイルスに感染するという関係ではナイということだ。鬱病は、免疫疾患に似ている。免疫疾患とはまったく疾病として異なるが、構造的にはよく似ている。
まず、没個的、つまり「私」というものの意識が「私」にしかナイ「即自的」な「私」を想定する。「私」は「私」としか関係していない。その「私」を環境世界-世間(社会)という情況に置く。このときの関係は対環境世界(対他)的なものとなる。心的現象はそこで終わらない。それが「了解」という作用で「私」にもどって来る。これが「対自的」なものだ。「とかく世間は住みにくい」というのはこれに該る。「私」はそれによって受けたストレス(と、暫定的にいっておく)を解消するかのように、身体の毒(鬱積)を排泄しようとする。自らの内部に生じた「私←-→私が意識している環境世界と私」の軋轢を排斥、排出しようと努める。そのこと自体が疾病として現れる。うまく排斥、排出出来ないから、というのではナイ。排斥、排出する営為そのものが「疎外」(自らが創り出した営みが、逆に自らを苦しめる)となる。これはまるで、体外から侵入してきた異物を攻撃する免疫抗体が、なんらかの錯誤作動でリウマチや膠原病などを引き起こす、自分自身を守るためのモノが自分自身を攻撃する免疫疾患に似ている。脳分泌の異常は、原因ではなく、そのために生じた何らかの、脳の対応の結果であることはいうまでもナイ。鬱病に対して未経験のものには、何をいわれているのかサッパリだろうが、概論として、この程度のことはいえると思う。

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