多情仏心
今朝、電子体温計、耳式も舌下式も室温が低すぎて機能しない。ひでえな、とは思いつつ、南スーダンでは、数百万人規模の飢餓のおそれと、ネットでみて、そういや、同じアフリカのどこそこでは、30秒に一人の割合で子供がマラリアで死んでいくと、聞いたな。まだマシ。頭重くややふらつくが、買い出しに行かねばと、冷蔵庫をみて、あれとこれとナニだなと、確認。近所の大手スーパーに自転車を走らせる。寒い。とはいえ、部屋の中でも息が白いんだから大差ナシ。特売で、小ぶりのチンゲンサイ98円を買い、備蓄用にレトルトのカレーを買う。他に何種類か買って、けっきょくピーマンを買い忘れるが、明日、明後日は外になるから、まあこれでヨシとして、さて、レジ。1番から10番までのレジで、お気に入りの女性を捜す。年齢は五十前後。眼鏡。髪を後ろにくくり、髪の先は背中まで伸びている。『長い髪の少女』という歌があったな、高校時代。おそらくは、彼女は女子高生の頃は、こんなだったろう、あんなだたっろう、と、ノスタルジックなときめき。これ、片恋。「想さんは、すぐに女のひとを好きになるでしょう」と、とある女性からみぬかれるように指摘されたことがあったが、多情仏心というコトバは、よくぞこの世にあるものだ。その女性をみつけ、そのレジに。ずっとみつめる。ナンでいつもこういうタイプに気が向くのか。この女性は何故、レジなどやっているのか。家計苦しい。子供の学費の足し。亭主失業。さまざまな空想をして、勘定すんで、カート押しながらも、その女性の背中をみつめる。双方思い合うは辛いだけ。片恋はこちらの空想まかせ。還暦を間近にしようとも、ときめきは16歳のときと変わらず。笑わば笑え。このココロ失くして、ものは書けナイ。性欲というのとはまたチガウ。ほのかな、思春期的恋ゴコロ未だ我に在り。ホロビゆく世界もなんのその。若く頑強ならば、飢餓の地に飛んで井戸でも掘ろうが、その地にしてもそう単純ではあるまい。井戸に水が出れば、水の取り合いが起こるかも知れない。井戸を力によって独占するものもあるかも知れない。
ただ、ひとつの自慢。フィリピンの貧村の8歳の女の子、毎月5000円援助して16歳まで。その折々の写真、鞄に入れていること。当初祖母が書き、送られてきた手紙、その娘が自身で書き送れるようになったこと。演劇で成したことなど、何の自慢にもならない。しかし、演劇は、生活からはじまらねば、みんなウソ。