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2012年2月28日 (火)

SLOFT/Nの贈与交換について

贈与交換というものについて「私なりの」意味づけをしておく。もともとの概念はポトラッチという、相互に贈り物をしあって(交換して)一種の経済活動とすることを意味するが、これは、次第に両者がより多くのものを贈与するために、どちらかが損失を被るものとして、禁止された。しかし、その形態は、経済学の範疇で研究に値するものとして、残っている。ざっくりいってしまうと、私の考えは以下のようになる。
・贈与交換という場合の「交換」とは、何を何と「交換」するのか。
個人の労働(その時間・その商品)を提供し、それを貨幣と交換するのではなく、相手方から受け取るものを「資本」として、それと交換する。
これが、その概念だ。これをもう少し詳しくみていくと、贈与交換につきものなのは、無償で個人の労働を贈るのだから、贈る側は損をしているのではナイかという誤解だ。それならば単なる「贈与」でしかナイ。問題は「交換」にある。普通、私たちは労働によって「商品」を産み出す。その「商品」を売ることによって「貨幣」という利潤を手に入れる。これが「交換価値」と称されるものだ。そうして手にした「貨幣」というものを食料や衣料などの生活用品に変え、あるいは娯楽としての費用に充てる。これを「労働の対象化」あるいは「対象化された労働」というふうに称する。つまり、労働というものは、それ自体には何の価値もナイ。価値を産み出すのは、この「対象化された労働」だ。「贈与交換」は、この交換価値から「商品」を消去する。何故なら、「贈与」は「商品」ではナイからだ。つまり、労働と貨幣の仲立ちをしていた「商品」というものを削除するのが、「贈与交換」だ。では、「商品」を削除、消去するというのはどういうことか。ここで、「商品」というものが、それを創作した個人に対してどういう関係をとるかを考えてみよう。具体的に芝居における衣裳というものについてみてみる。いま服飾家が舞台衣裳を製作したとする。ドレスが一着出来上がった。このとき重要視されるのは、もう服飾家ではなく一着のドレスのほうだ。服飾家にとっても、服飾家個人より、製作したドレスを重要視する。ここで、服飾家という個人と、ドレスの主従が入れ替わる。服飾家は個人を売るのではくドレスを「商品」として売る(貨幣と交換する)からだ。そこに服飾家のネームバリューが入っていようと、ブランドものであろうと、ドレスという「商品」がなければ「交換」は出来ない。服飾家のネームバリューや、ブランドは、ドレスの「使用価値」に付加された「交換価値」なのだ。ドレスはドレスだが、ナニナニという有名デザイナーが創ったものであるなら、その使用は同じでも交換としての価値は上昇する。しかし、そこでも、ドレスと服飾家の主従は入れ替わっている。というのは、そのネームバリューを持ったドレスが服飾家よりも主となるからだ。かくして「商品」は「貨幣」との仲立ちをする場合、個人との主従の転換をやってのける。「贈与交換」はこの「商品」という仲立ちを消去する。そこには労働で生じた「商品」というものはナイ。何故なら贈与だからだ。あるのは、純粋な労働の「交換価値」だけだ。これを、贈与者は、「資本」と交換する。ここは資本主義とか、資本制経済とかの呼称に耳慣れている私たちにとっては、難しいところだ。しかし、前述した「対象化された労働」の「労働」を「資本」に置き換えてみると、何となくワカッテくる。労働が対象化されるのなら、「資本」もまた対象化されうる。つまり、「贈与交換」で「交換」されるものは、個人が贈与として差し出したものを受け取ったものから、逆に受け取って然るべき「資本」だ。ここにおいて、「贈与交換」は経済学から離脱する。贈与した個人に資本として返ってくるものは「商品」を仲立ちにしないので、主従の転換を起こすということがナイ。そのまま創作者を主として、創作者その個人に交換される価値ということになる。

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