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2012年2月25日 (土)

死んで貰います

映画『昭和残侠伝』のシリーズ第七弾のタイトルが『死んで貰います』(監督・マキノ雅弘、主演・高倉健、池部良)だ。今夜観て(もう五回以上観ているのだが、今夜はいままでになく大泣きしたナ)、せりふのあまりの少なさに気付いてちょっと驚いた。ストーリーも殆どplotというふうで、ともあれ、このシリーズはストーリーはお決まりだからあまり込み入ったことは必要ナイのだが、にしても、無駄なせりふが一切ナイ。そういえば、映画史に残る3時間半の大作、黒澤明監督の『七人の侍』もせりふのある部分は、30分程らしい。ヤクザ映画(任侠映画ともいう)と侮るなかれ。要するに、このシリーズは、虚構であるが、テーマはひじょうに現実的で、山本哲士さんのコトバを借りれば「事実と現実との世界がいつも理念の失敗のようにかかわってくるということ。つまり、理念がいつも失敗と挫折によってしか実現されないという、理念と現実との関係をどう考えるかである」(『吉本隆明の思想』・三交社)と同位相にある。山本さんのコトバは、『心的現象論』の読解(「了解の様式」)から私が適宜引用したものだが、もちろん、私も演劇や鬱病について考えるときには、『心的現象論・序説』と、『本論』から、ヒントを得ている。それを大っぴらに述べないのは、私の読み方など、誤読の域、浅読の域をこえないからだ。間違っても「心的現象論によると」などといえる程度の学は私にはナイ。ただ、心的現象と精神現象の区別くらいはワカル。私は『心的現象論・序説』を10年間に3回読んで、最初はまったくワカラズ、しばらく勉強して二度めは何とか読み通すことが出来、さらにさまざまな学問を積んで(といっても大袈裟なことではナイ。積ん読、あるいは渡り歩いた程度、で)三度目でやっと漠然と読めるようになった。つまり、いまなお学んでいる途上ということになる。ただ、それは、おおよそのbackupというチカラにはなる。しばらく他の学を試行錯誤して、このような方向でいいのかなと、吉本さんにもどると、たいてい間違ってはいないので、ちょっと安心することが出来る。つまり一種のチャートの羅針盤のような存在だ。
私はいま、演劇の情況と、社会的な疾病となった鬱病とから、共通のコードを引き出し、これにベクトルを設定しようという面倒な仕事をしているが、この課題に対しての勘は外れていないという確信を持って臨んでいる。私の考えでは、どちらにも、現実と虚構、事象と現象、事実と表現、の駆け引きがなされているはずなのだ。
でと、すっ飛んで結語にするが、SLOFT/Nの理念である贈与交換を援助交際と同じレベルでしか理解出来ない御方には、死んで貰います、だ、ナ。まあ、オレもそう長くはナイし、いまは映画の中の健さんみたいな気分だからナ。

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