年頭所感或いは『ムーミン谷の冬』
トーベ・ヤンソンの小説、ムーミン谷のシリーズの中では、『ムーミン谷の冬』がいっとう好きだ。ストーリーは皆目忘却してしまったが、あるシーンだけには、いまもなお震撼する。「すべてのものが冬眠しているときに、独りだけ目覚めてしまったら・・・」と、たったそれだけのシーン、それだけの(そのような)コトバなのだが、それがどのようなプロットに用いられたのかも記憶にさだかでナイのにしかし、この感覚、「すべてのものが冬眠しているときに自分だけが、目覚めてしまった」というこの感覚は、世界、地球にたった独りで残されてしまった者だけが知る感覚なのではないかという虞れをもって私にやって来る。それは孤独とも違う。寂しさでもナイ。簡単にいうなら「心細さ」なのだが、私はこれと同じ感覚を鬱病という宿痾を患って初めて体感した。医者は誰もが、異常はありませんねという。ひどいのにあたったときは、おまえクスリをやってんじゃないかと、疑われたこともある。家族にも伝えようがナイ。もちろん、ワカッテもらえない。そのときの妻には「あんただけがしんどいんじゃないんだからね」と一蹴されている。なにしろ私自身にさへワカラナイんだから始末に悪い。たしか、そんなときに『ムーミン谷の冬』のその部分を読んで、ああ、これだ、これなんだと、納得したことだけはおぼえている。
大晦日には実家にいたので、受信料を支払っている実家のテレビで母親と弟につきあって『紅白歌合戦』を観たが、三分の一あたりで辟易し、半分あたりで気が滅入ってきた。とにかく震災、なんだって震災、隅から隅まで震災。震災なければ今日はナイという、極めてあざとい演出に舞台関係者として、私は一つ疑問を持った。何故、こうまでして、被災者と、非被災者という分け方を強いなければならないのか。ヒロシマ、ナガサキの被爆者が、犠牲者であるに関わらず、戦後、日本の国民から差別を受けなければならなかったという悲劇の構造とが重なって、心底嫌気がさしてきた。日本に被災地など存在しない。何故なら、日本が被災地なのだから。そうして、現在も震災は続いている。私たちは震災後を生きているのではナイ。「被災地のみなさん」「被災者の方々」などという表現は本来、妥当性を欠く。自らが被災者であり、震災は続いているのだという自覚なくしては、姑息な(その場凌ぎな)ことしか出来ない。まるで日本中が某民放の『愛は地球を救う』を垂れ流しているだけじゃないか。
『ゆく年くる年』からは「明けましておめでとうございます」のコトバが、当然でもあるかのように消えた。「明けまして」というのは、なにはともあれ、「明けた」ことに対する感謝なのだ。夜が続いているのではナイ、ともかくも、新しい年はやって来たということへの畏敬なのだ。初日の出を拝むのは、太陽信仰とは何の関係もナイ。夜が明けたことへの祈りなのだ。それにつづく「おめでとうございます」は「芽出たくありますように」だ。意をもって解せば「なにはともあれまた陽は昇りました。新しい芽が出ることをお祈りいたします」となる。それすら、受信料放送局は「自粛」してしまった。まったくの誤謬としかいいようがナイ。
みんなが冬眠しているときに独りだけ目覚めてしまったら、どんなに心細いだろうと、氷原を観わたして佇むムーミンのように、私は心底、心細くこの年を迎えた。「絆」キズナと、そういうのを「バカの一つ覚え」というのだ。私はそんなものはまるで信じないで生きてきたから、私は私の臆病さと、どうやって対峙していこうかで、精一杯だ。
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