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2011年12月 9日 (金)

如是想解・1

1 花を焼くな
  私の柩に生花を入れるな
  ともに荼毘にふされる花にとっても迷惑なことだろうから
  私の柩には、私とともに過ごした花の化石を添えてくれるだけでイイ。 

2 骨を拾うな
  いわゆる、骨拾いはしなくてイイ
  すべて粉骨して、畑の肥料にすれば事足りる。

3 生に執着(しゅうじゃく)しなければ、生もなく
  滅(死)に執着しなければ滅もまた、ナイ。
  不生不滅とは、このことをいう。

4 同じく
  仏性にこだわらなければ 仏性も無く
  仏性無きところに 仏性有り
  これが、ありのままの仏性というものだ。

5 ありのままとは
  なるがまま、なすがまま、のことをいうのではナイ
  その、本来の姿をいう。

6 不生不滅も、ありのままも、修行によって得られるのかも知れぬが、
  ひとは、そう強くはナイ。
  道元に出来たことも、凡夫ではそうはいかぬ。
  よって、親鸞の念仏ということになる。
  何れにせよ、結果はおなじなのだ。
  ほとけにすがるのではナイ、ほとけにゆだねるのだ。

7 留意しておくべきことは
  道元にせよ、親鸞にせよ、
  地球が球体であることを知らず、
  地動説も知らなかったことだ。
  よって、彼らの宇宙観(三千世界)はアテにならない。

8 並行存在
  ひとは同時並行に主体を生きている。
  これは主体と客体があるということではナイ。
  即自的に、並行した[私]を有する存在だということだ。

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