如是想解・1
1 花を焼くな
私の柩に生花を入れるな
ともに荼毘にふされる花にとっても迷惑なことだろうから
私の柩には、私とともに過ごした花の化石を添えてくれるだけでイイ。
2 骨を拾うな
いわゆる、骨拾いはしなくてイイ
すべて粉骨して、畑の肥料にすれば事足りる。
3 生に執着(しゅうじゃく)しなければ、生もなく
滅(死)に執着しなければ滅もまた、ナイ。
不生不滅とは、このことをいう。
4 同じく
仏性にこだわらなければ 仏性も無く
仏性無きところに 仏性有り
これが、ありのままの仏性というものだ。
5 ありのままとは
なるがまま、なすがまま、のことをいうのではナイ
その、本来の姿をいう。
6 不生不滅も、ありのままも、修行によって得られるのかも知れぬが、
ひとは、そう強くはナイ。
道元に出来たことも、凡夫ではそうはいかぬ。
よって、親鸞の念仏ということになる。
何れにせよ、結果はおなじなのだ。
ほとけにすがるのではナイ、ほとけにゆだねるのだ。
7 留意しておくべきことは
道元にせよ、親鸞にせよ、
地球が球体であることを知らず、
地動説も知らなかったことだ。
よって、彼らの宇宙観(三千世界)はアテにならない。
8 並行存在
ひとは同時並行に主体を生きている。
これは主体と客体があるということではナイ。
即自的に、並行した[私]を有する存在だということだ。
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