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2011年12月10日 (土)

如是想解・2

9 定点の存在
  並行存在とは、定点と動点の相対性をいう。
  相対は相(あい)にして対(つい)なるものだから、
  或いは対称性と称される。
  止まっているものがなければ、動いているものはナイ。
  何れかが止まり、何れかが動く。

10 無常の定点
   無常にも定点の存在が不可欠になる。
   常無らむということは、常であるものに対してのみいえることだからだ。

   
11 ひとにおける定点
   なるほど、この世は無常だ。
   しかし、この世は無常だと識知するものは動かない。
   で、なければ、無常ということがそもそも認識出来ない。
   よって、それを定点という。

12 相対性の絶対性
   この定点と動点の相対性は絶対性だ。
   即ち、完成を持たない。
   絶対性とは、常に「未完成の完成」であることを示す。

13 親鸞と道元
   二人はともに当時の仏教思想(末法思想)に対して疑問を持ちつつ
   親鸞は衆生(有情)に向けて仏教思想を解体して、これを開き、
   道元はこれを構築せんとして、修行による心身脱落(しんじんだつらく)を説いたが(『正法眼蔵』「現成公案」「生死」)何れも他力本願に行き着く。
   曹洞禅は、小乗に非ず、自力本願にあらず。
   (ただ、『正法眼蔵』においては、ある種のフェチシズムを感ずることがある)。

14 以心伝心
   「以心伝心」などというものはナイ。何故なら、以心伝心そのものが、コトバであるからだ。

15 禅と数学
   禅の思想(論理)は数学と似ている。何れもimageとしてしか捉えられないものに頼るしかナイからだ。例えば、「存在しないものが存在する」。「点には面積はナイ」「線にも面積はナイ」「面には厚みがナイ」のに、それらは存在する。

16 π
   半径1の円の面積をπという。この面積(π)の値が永遠に解けそうにナイのは、方法の不備ではナイ。円の内と外を隔てる「線」そのものが、imageでしかナイからだ。つまり、線は「存在しないのに存在する」ものだ。半径1の中心「点」もまた然りimageでしかナイ。半径1は無限と同値としかいいようがナイ。「円に内無く、外も無い、されど円は在る」といえば、禅語になる。「心身(しんじん)に内無く外も無い、されど心身は在る」とためしにいってみればイイ。

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