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2011年12月

2011年12月28日 (水)

如是想解・10

28 演劇と倫理
演劇(芝居)とういものは、べつに学ばなくともイイ。これを楽しむ、つまり一つの享楽として感受する者をとがめる筋合いもなければ、そのすべもナイ。錢とヒマのゆるす限り世間からの逃げ場としてその場で享楽にすればヨシ、そうしてテキトーにさよならして生活の場にもどるもヨシ、恋愛の場に走るもヨシだ。それは演劇(芝居)以外のあらゆる表現に共通のことだ。そこにcynicism(既成の道徳、常識、を冷笑する態度)とnihilismが含まれていることにマチガイはナイ。しかし、それは倫理の固有性の問題にしか過ぎぬ。表現それ自体とは本質を分かつものだ。これを一つの固有の倫理として認めるとしても、表現の価値の規準にはならない。
では、演劇(芝居)の価値とは何か。翻って、私は、その個人の倫理性と深く関係を持つもののような気がする。矛盾するようだが、「規準とはならないが関係はする」というしかナイ。これを道徳観などと勘違いしてもらっては困る。ヤクザにはヤクザの倫理があるのはいうまでもナイ。任侠と義理はその最たるもので、それがなければヤクザ社会というものでは生き抜けなかった。(かつては、そうであった。ヤクザが暴力団というふうになるまでは、ネ)従って、演劇(芝居)にも、ある積極的逃避、あるいは積極的狂気としての倫理が存在する。
この「享楽」と「倫理」のはざまにあって、最後まで苦悩したのが宮沢賢治だ。法華経の「安楽行品」では、求道者が近づいてはいけないものが挙げられているが、ここには「文筆するもの」も含まれる。その他「拳闘」や「相撲」など、およそ見せ物、即ち表現の類には「近づいてはいけない」とある。享楽の危険性を述べたというべきだ。しかし、賢治は最後まで、その和解を求めて闘った。前述した『マリヴロンと少女』などはその例が著しく描かれたものだ。「すべての芸術は一度滅ぶべきだ」と述べたのは、何も自身の作品が認められなかった腹いせの言動ではナイ。『農民芸術論』を夢みたとき、賢治の脳裏には世の改革のためには、芸術(表現)は必要だという確信があったのだ。臨終において、自らの作品群をすべて焼くように遺言したが、これを否定的に捉えるのではなく、肯定的に、「作品ではなく、おのれの生き方自体なのだ」という賢治の姿勢(祈り)として受け止めねばと、私は思う。

29 無常と存在
釈迦の最初の説法は旧知の五人の修行者に対して行われた。ここで、釈迦は「形体のあるもの(色)は本質のないもの(無我)」だと説いた。何故なら「もし、形体のあるものに本質があるのなら、~私のカラダはこうであって欲しい~欲しくない~といえるが、本質が無いので、そうはいえないのだ」と論じた。次に「永遠に存続せず、苦しみであり、常に移り変わるという性質のものを観て~これは私のものだ~とか、~これは私だ~とか、~これは私の本質だ~とはいえない」とした。即ち「私」というものは「無い」(無我)ということになり、状況論としては「無常」だというのだ。これはかなり否定的(もしくは西欧哲学ではnihilism)としての論理だが、「無常」というのはさほど陰々滅々たるものではナイ。これを「あらかじめ、決定されたるものは何もナイ」という命題で捉えてみれば、世界は予定通り動いているのではなく、「明日のことはワカラナイ」という動き方をしているということになる。つまり「予定説」ではナイということだ。「私」のことも「あなた」のことも、たったいまある刹那に消え去って、次の刹那へと続く。常で無いということは、常で在らずと同義だ。常で非ず、だ。「常に在るでなく」「常に無く」でもなく「常に在らざる」としての存在がひとの存在だ。コトバを変えれば「主体」というのは刻々と移り変わる弁証法的な「非在」といってイイ。至極単純にいえば、「私」というのは「私」が「私」と関係して私←↓→私
                 私 だということになる。
無常と存在(私)は敵対するものではナイ。矛盾するので、「非在」として「発展する」と考えたほうが、楽に生きられる。he is not he was.(彼は昔の彼ならず)。他者もまたその如しと考えておけばイイ。

2011年12月24日 (土)

如是想解・9

27 『マリヴロンと少女』(宮沢賢治)
『マリヴロンと少女』は宮沢賢治の作品中で、ごく短い、いわば掌編小説だ。私はこれを『マリィヴォロン』という一人芝居の戯曲(「せりふの時代」?号に掲載・舞台は、戸川純さんが演じた)にしたことがあるが、原作の中でワカラナイことがあった。(だいたいこの宮沢賢治というひとはワカラナイことが多すぎるのだが)歌手マリヴロンに一緒についていきたいと懇願する少女を戒めてマリヴロンがいう。「正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです」と、ここまでは納得出来る、ところで、そのすぐアトにコトバはこう続く「ごらんなさい。向こうの青いそらのなかを一羽の鵠がとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつものです」。その、「あと」と芸術とが同じ高い価値を持つものだと、いうのだが、何故「鳥のあと」なのかがワカラナイ。これは『法華経』の「方便品」をそのまま書いているのだということが、『正法眼蔵』「唯仏与仏」を読んでやっとワカッタ。「唯仏与仏」は、鳥が鳥の跡を観るように、ただ仏のアトをついて来ればよいのだということを説いているのだが、つまり、道元の法華経解釈なのだが、仏でないものは仏の眼をそなえていないので、仏の教えるところを知ることが出来ない。ゆえに、ただ、仏の歩んだ路の跡をたどればよい。ということになる。
『法華経』は、大乗仏教の至高の教典といわれるが、私の読んだ限りでは釈迦-仏陀を極めて神格化しているうえに、かなり排他的、排外的、怨嗟を感じる教典だ。成立がいつ頃なのかは不明だが、仏教学者の岩本裕氏によれば、この教典はかなり他派から迫害された弱小教団の著作ではないかとあって、私もその説にはうなずける。しかし、大乗の教典を道元が、おおく小乗と看做されがちな禅宗のうちにその独特な解釈を以て位置づけているのは、ある意味では画期的なことだろう。釈迦-仏陀を神格化しなくとも、「悟り」を説くことは出来るといったところか。
私は宮沢賢治の『マリヴロンと少女』の芸術観に対しての違和感から『マリィヴォロン』を書いたが、そこには「現実と虚構」というテーマのようなものが横たわっている。主人公に名前はなく、戸川純さん自身に3~4回に分けて、この戯曲は手紙として送られた。舞台では、戸川純が戸川純に扮して、一人で旅回りをする少女の話が描かれる。虚実入り交じっての舞台で、ただ、戸川純のリアリティがそのまま虚構であり現実だった。そのことについて、まったく勘違いしている批評は多くあったが、もちろん、正鵠を射た感想も幾つか目にして(或いは耳にして)いる。私自身はこの劇作法について、もう少し論議があるかと予想していたが、その反応のなさに、いささか逆に私のほうがガッカリしたというのがほんとうのところで、以来、いわゆる業界からは少々距離を置いている。しかしながら、一人芝居というものは、そのひとにしか出来ない芝居のことをいう。と、そういう命題を手にすることが出来たのは幸いだ。戸川純さんには感謝している。

2011年12月22日 (木)

映画情報『ヒミズ』(園子温、監督)

情況的に、賞賛と祝辞に包まれているこの作品に対して、門外漢の私が失礼なのだが、あえて感想をいってしまえば、終始「出来のよい高校演劇につきあわされた」というふうで、少なからず辟易してしまった。無論、ここでいう「出来のよい」というのはironyに他ならない。構想中に東日本大震災が勃発して、それを急遽、脚本に書き入れたのは、園 子温監督が、ただジタバタしただけに過ぎないように思える。その悲惨さを描写するのに、津波の瓦礫の山と犠牲者の呆然、彷徨を撮ればイイというものではなかろう。それは凡庸に過ぎるのではないか。未だ避難所生活を余儀なくされる被災者多い中、都市部では、食料はあふれ、観光客は深夜の路上で酔っぱらって咆哮していたんだからな。さらにいえば、震災による死者と、通り魔殺人の死者はどうしたって結びつくものではナイ。津波は通り魔ではナイ。自然現象だ。通り魔は自然現象ではナイ。「それは覚悟で」とは監督のインタビューに答えてのコトバだが、表現者の覚悟など、如何程のものでもナイ。表現者である限りは、表現した作品に対しての、それを観るものに対しての覚悟などアタリマエのことではないか。
この作品のドラマツルギーは、いわゆる青春映画なのだが、私は何だか遠く70年代にリターン(もしくはタイムスリップ)したような気になった。演劇の業界では、こういった「作り過ぎのリアリズム」という方法は、もはや過去のものになってしまっている。どのシーンを観ても嘘くさいし、失笑するだけで、まことに申し訳ナイが、涙どころか、あくびしか出てこない。曰く「退屈」・・・。ただ.一つ、でんでん扮するところのヤクザ(金貸し)親分のせりふだけは、真っ当(いいせりふ)だなと感心はした。あれがなければ、主人公が紙袋に入れて持って歩くステンレスの包丁など、素人目にみても、殺傷能力はナイのが焦燥のまま終わってしまうからだ。あの包丁では逆刃にしないと、およそ刺すことは不可能だ。逆刃にしても体当たりしないと無理だろう。匕首の場合でも、殺すという意志のナイ場合は逆刃にはしない。ともかく「刺した」という事実が残ればいいからだ。逆刃の場合は、刺してから上に出来るだけ何度も引き上げる。これが致命傷になる。逆刃でナイ現場に、テキヤのバイト時代には一度遭遇したことがあるが、殺意がナイので、意外にアッサリしたものだった記憶がある。私も、いざという時のためにアキレス腱、手首の筋、耳を削ぐ、頸動脈の辺りを切り裂くのに適当な、掌に隠せるナイフを持ち歩いているが、ヤクザと同じで、相手の攻撃能力を奪うだけで、トドメにはならない。(ヤクザの果たし合いにトドメのしきたりはナイ)。たまに、新聞紙を放り投げ、落ちて来るところをこのナイフで鋭利に切る練習は怠っていないが、それくらいの自衛策は持っている。よって主人公に対しては、早く殺っちまえよ、と、まあ、うんざりとはしていた。(もっともこの辺りは、私と父とのあいだのトラウマが原因かも知れない)。自らの家庭の不幸は放っておいて、主人公に肩入れするヒロインについては、最後に首を吊らせるほうがヨカなったか。それを主人公が観て、普通のボート屋に自立していく。だいたい、警察署などの公権力なんてのは、殆ど信じられるものではナイ。まあ、主役たちが中学生という設定なのだからしょうがナイのだろうけど。しかし、成長と変貌とは根本的に異質のものだ。そこをこの作品はうまく「仕分け」損なったように思える。
ラストシーンの「がんばれ住田」は、もう「がんばろう東日本」「がんばろう東北」「がんばろう仙台」で、聞き飽きている。震災直後、私も因縁あってか(私は震災-津波で知己を二人亡くしている・・・行方不明のままだが)、流山児事務所の公演で、仙台に参じたが、「がんばろう仙台」のポスター、ステッカーを数多みるにつけ、「運が悪かったな仙台」のほうが適切ではナイかと不埒な妄想を抱いた。さらに付け加えるならば、震災中の日本においては、「明日は我が身だ日本」というポスターやステッカーのほうが必要だと思われる。
青春は美しい、のではナイ。青春映画が美しい、だけなのだ。主人公二人は、後者に打ち込んだ。正当だと思う。この二人には、拍手は惜しまない。

2011年12月21日 (水)

如是想解・8

26 旅芸人或いは『寿歌』
「自由意志」と「自己責任」などというものは、この世界の何処を捜しても無い。哲学史にも登場しない(浅学の私が学んだ範囲においてはだが)。似たような表現ならサルトルにもみられるが、サルトルは正確にいえば、哲学評論家、哲学的知識人だ。(その著作の多くを読んだワケではナイが)どうも彼の哲学とやらは、さまざまな哲学の寄せ集めか、批評の類でしかないように思う。早熟な高校生(または昨今なら大学生)なら影響されるかも知れないけれど、あの程度のことなら私にもいえる。私たちは「自由意志」によって生まれてきたワケではナイ。無神論の立場に立てば、自身の人生について責任などとる必要はナイ。これが、まあ、サルトルのいう即自的存在というものだ。ただし、世界には他人が存在する。よって、他人に対して自分の存在というものを設定しなければならない。人間は本質ではなく実存的存在であるのだから、自身を変えていかねばならない。これを意志というのなら、それが、サルトルのいう対自的存在、つまり、アンガージュマンというものだ。なんで早熟な高校生なら、かというと、現に私は高校生のとき、サルトルとカミュのいずれがヨキカナと、考えたりしたからだ。カミュを無神論者ではなく非神論者と呼称したサルトル、このあたりは認めてヨシとして、私はどうしてもカミュに傾倒した。
想子曰く、誰が好きこのんで芝居なんざ初めるものか。誰が「好きだからこそやれるのよねえ」と、世間のものに揶揄されながら、恥じ入る思いをして、そんな営為を続けられるものか。しかし、芝居、演劇というものに魅入られたなら、こいつと徹底的に闘うしかナイのだ。そんなものは自由意志でも、自己責任でもナイ。そういう道徳的、政治的、法的な範疇-概念(category)、に「芝居」やら「演劇」やらは含まれない。自由とか、意志とか、自己とか、責任とかは、「芝居-演劇」の辞書には無い。そこでは自由は「因」に、意志は「果」に置き換えられて「因果」と呼ばれる。自己は「不完全」、責任はせいぜい「応報」だ。しょうがないではないか。「芝居-演劇」という営為は堕天使の反抗なのだから。ところが、私たちはひとのこだ。~ひとのこは、ひとのこゆえに、ひとなりき~「この哀しさがワカルか」。ルシフェルにはワカッテいた。しかしルシフェルは天使ゆえに無神論は説けぬ。よってそれは非神論になる。「芝居-演劇」する私たちは本質でも実存でもナイ。「非存」だ。「どこへいってもどこでもナイし、あっちはどっちや」の旅芸人だ。百億の昼と千億の夜をついやして、なおもその先に往くものだ。 即説呪曰、羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(般若心経、末尾)。

2011年12月19日 (月)

如是想解・7

24 隠遁或いはエートス
   敬愛する故人山田風太郎さんは、何かの書で「隠遁とはいえど、最低限の米や味噌や、什器などは必要だったワケで、けっきょくは生活環境の違いとしかいえない」というふうな意味のことを述べてらした。戦中戦後の飢えをとりもどすかのように、職業作家になって結婚されてからは、奥様を料亭に同伴させ、美味いものを食べさせて、修練させるという身の入れようで、食卓には、いつも十品目ばかりの惣菜が並んだ。
  私が、一部世間の誤解を招いて隠遁しているかのように思われているのは、私の出無精を通り越した、閉じ籠もりのエートス(生活態度・生活に対する道徳・規範・生活環境)にある。2DKのスラム・アパートで、外に出るのは、近所の大手スーパーに食材の買い物だけ、というのが、平均的な日常で、生活に何の支障もナイ。書籍は、毎月トーハンから送られてくる「新刊ニュース」と、大手スーパーの書店で下調べをして、ネットで購入する。映画はたいていDVDで観るようになった。その他は稽古のある日に出るだけで、外に対してはまったく必要性がナイ。外の情報はパソコンで次々と取り入れているから、毎日の平均株価や世界のニュースで、たいていの情勢は理解できる。
  「ひとは、そのひとの脳の拡張として、そのひとの環境をつくる」とは、養老孟司さんのコトバだが、私のようにそのエートスが個人的な情況においては、好きなようにして構わないはずだ。ただし、そのエートスが他者に影響を及ぼす場合、これを侵犯する場合、これを拒絶、これと対峙、これを独善的に排除する場合となると、話は別だ。そうならないように、そういう立場のものは、自身に厳重な反省を常日頃から怠るべきではナイ。特に私などは、長い間、劇団などというものをやっていたので、そのエートスが、私の脳と対立した場合は慎重にコトを運んできた。隠遁に近い生活をしていると、そのエートスは強いpotential-energieになる。独善は単なる妄想 に過ぎず、孤高は頑迷に堕する。他者との関係と了解が、独我的に営為されていないかということの検証は、十歩が百歩譲っても、配慮すべき問題だ。

25 信頼
  信頼、信用とは、魂の取り引きのようなものだ。経済学用語を用いれば、魂の交換価値による交換のことだ。ここでいう魂とは、霊魂、魂魄のことではナイ。スピリッツであり、mindであり、heartのことだ。すべて「観念」の作用だが、私が最初に学んだ、三浦つとむさんの唯物論弁証法においては、最も「観念」を重視する。

2011年12月18日 (日)

映画感想『ヒアアフター』(DVD)

 

この作品は日本では2011年2月19日からワーナー エンターテイメント ジャパンが公開していたが、同年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震を受けて、3月14日に、同日限りで上映を中止の憂き目にあった。
この作品をこそ、観てもらいたいと思うのは、震災(津波)被害にあっていない私の驕りでしかナイ。ただ、そう願う私もまたいる。
この作品を観るにつけ、クリント・イーストウッド監督は、もはや巨匠の仲間入りをしたといって過言ではナイ。ざっとあらすじをいうと、フランスの女性ジャーナリストのマリー(セシル・ドゥ・フランス)は、滞在先で津波被害に遭い、このとき、いわゆる臨死体験をする。その時に不思議な光景を観る。イギリスの少年マーカス(フランキー・マクラレン&ジョージ・マクラレン)は、愛する双子の兄が、母親がほんとうにヘロイン中毒から更生しようとして、買いにやらせたクスリを購入のアト、不良たちに追われて、自動車事故で亡くなった悲しみから立ち直れナイで、里親のところを抜け出しては、霊能力者を捜す。アメリカ人ジョージ(マット・デイモン)は、かつて霊能者として知られた人物だが、次第に自らの才能を「これは呪いだ」と嫌悪して霊能力者としての仕事から足を洗って工事現場の仕事についていたが、そこをリストラ、兄はそんな彼を使って再び商売を始めんとするが、ジョージは敬愛するディケンズの家のあるロンドン観光へと逃避する。大半は、この三人が何処でどのようにして出逢うのかという、巡り合わせの興味で貫かれ、観ているほうとしては出逢うことはワカッテいるのだが、そのアトラクトに、どんどん引っ張られていくことになる。そうして、この三人は、ロンドンで会する。ここはこの脚本の最も優れたところだ。全体のほんの少しの部分であるのだが、私は少年マーカスとジョージ(霊能力者)との邂逅に嗚咽してしまった。ジョージがマーカスに、死んだ兄のことを伝え、兄のコトバにマーカスが頷くだけなのだが、こういうところをみごとに演出するのが、イーストウッド監督を、私に巨匠といわしめさせる所以だ。エンドプロットのジョージとマリーの二度目の出逢いも素晴らしいと思う。ヒアアフター(『来世』)が如何なる宗教宗派のそれでもなく、心身に流れ込むように描かれる、それを信じるとか信じないとかはもう、どうでも良くなる。とても優れた童話を読んだ読後感のような余韻に包まれた。
余談だが、本作の収益金のうち約100万ドルが、震災義援金として寄付された。

2011年12月15日 (木)

如是想解・6

23 権力に対して
   Render therefore unto Caesar the things which are Caesar's; and unto God the hings  that are God's.(カエサルのものはカエサルに、神のものは神に納めよ-出典はマタイ福音22:15-22 ・ マルコ福音2:13-17 ・ ルカ福音20:20-26)パリサイ人からの意地悪な質問に対して、イエス・キリストはかくのごとく述べた。カエサルは当時の人間ではなく、時の権力の象徴とみてイイ。要するにこれは納税の話だ。すらりと柳に風のように受け流しているようにみえるが、かなりシニカルな答だとも勘繰れる。
 道元は師匠の如浄のコトバとは裏腹に、宝治元年、時の執権北条時頼と直接会っている。これは、時頼の招聘に応じたものだが、道元には、禅宗を国教にしなければ(そのほうが早く)、世の中は良くならないという思いがあったには違いない。つまり権力に近づいたのだ。このとき、時頼は道元にいう。「おまえの禅を広めるには、私がその宗徒になるのが最も早いだろう。というか、私がその禅とやらに共感すれば、国教にもなるだろう」。そこで、道元は禅のなんたるかを説く。これについて執権時頼は「ただ、坐っているのでは政(まつりごと)は出来ぬ」と一蹴することになる。こに至って、道元は師匠如浄のコトバの真意を解する。衆生の教化に権力を用いるのは間違いであり、早道などはナイのだと。
 親鸞は、建永2年(1207年)2月、後鳥羽上皇の沙汰により、法然ならびに7名の弟子とともに流罪に処せられる。法然・親鸞らは僧籍を剥奪され、法然は土佐国番田へ、親鸞は越後国国府(現、新潟県上越市)に配流。しかし、皮肉にも、ここで、親鸞の浄土真宗(念仏衆)は、その土地に根付くことになる。
 門戸を半ばエリートに向けて閉じた道元と、衆生に極めてワカリヤスク開いた親鸞の違いというワケだ。両者とも仏に委ねることは同じだが、それを現世に求めるか浄土に求めるかという相違はあるが、親鸞の浄土信仰は、法然からさらに進んで、一種の方便のように私は考える。浄土に救いがあると思えば、この世に及んでの生き方が違ってくる、というものだ。
 さまざまな国において発生した一向一揆は、権力と宗教(権力)との熾烈な闘争だった。一向一揆は浄土真宗本願寺教団によって組織された、僧侶、武士、農民、商工業者などによって形成された宗教的自治のことをいうが、教団、組織を重視した蓮如の教義に大きく影響されていたようだ。これに対して、織田信長は、徹底的な対決(一揆衆からいわせれば弾圧)ををしているが、私は織田信長の「カエサルのものはカエサルに」に一理あると考えている。織田信長はいう「死んでから後のことは知らぬ。それはお前どもに任す。しかし現世における覇権はこれを許さぬ」 信長との抗争に敗れて顕如が石山本願寺を退去した後まで、一向一揆は続くが、この後、宗教と権力の対決があるのは、天草の乱だけだ。
 権力と宗教が結びついたときの驚異は、現イスラム諸国のそれをみるまでもなく、権力は宗教を利用し、宗教は権力に擦り寄りたがるものだ。ただし、アメリカ合衆国においても、プロテスタントの王国であるということを忘れてはならない。

2011年12月14日 (水)

如是想解・5

21 朝
  朝はいつも新しい。毎日毎日の繰り返しなのに、あきるということがナイ。このことについて、チェスタートンは『正統とはなにか』で、「それは神が三歳くらいの子供であるからだ。積んでは崩す積み木遊びの繰り返しにあきることがナイ」というふうなことを述べている。日本の二人のインテリが語り合った『ふしぎなキリスト教』が概してつまらないのは、二人のインテリ(橋爪大三郎・大澤真幸)が、二人のインテリだったということる尽きる。たいていが文献的に用いられていて、それゆえか、中途半端で踏ん切りが悪い。チェスタートンは、聖書をきわめて文学的に捉えている。「天国には安らぎが地獄には冒険がある」などと、彼の他に誰がいえよう。

22 説法の相違
   『九マイルは遠すぎる』の短編ミステリでお馴染みのハリイ・ケメルマンは、ユダヤ教徒ゆえに、聖書に観られる矛盾を、イエス・キリストが行った説法の方法が辻説法であったから、その場所場所において、異なる表現をしたためだと一蹴している。(この点、チェスタートンは、聖書の矛盾について、「聖書に矛盾が観られるときは、実世界でも同様の矛盾がみつかるはずだ」と述べている)
   釈尊は、まず、鹿野苑に拠点を置いた。後にガンジス河中流地域で教化活動を展開するが、その方法は辻説法ではナイ。ほぼ必ずといってよく、集会のカタチをとっている。この集会の際に、生まれたのがあの「貧者の一灯」の逸話だ。ともあれ、来るものを待つ、というのが基本的な姿勢だったようだ。イエスのように行脚を避けているのは、積極性の無さをみることも出来るが、逆にいえば、説法を聞きに訪れる側の積極性を促すということになる。つまり、劇場公演型といってイイ。ただし、ただ待っていては聴衆は集まらない。おそらくは弟子たちが、聴衆を集めるのに奔走したものと思われる。ここから、年月を経て、然るべく指導者たるものが、隠遁に近い態度を示したのは、単に釈尊の「厭世」を継承しただけで、単なる消極的な、あるいは、隠遁するがゆえに尊しという誤解でしかナイ。曹洞宗道元も、やがてその拠点(永平寺)を山中に建てたが、これは、数度に及ぶ権力との交渉において懲り懲りしたからだと思われる。

2011年12月13日 (火)

如是想解・4

20  証(あかし)
  道元の禅において一般的に有名なのは「只管打坐(しかんたざ)-ただ坐れ」だが、もう一つ何か挙げろといわれれば「修証一等(しゅうしょういっとう)-修行と証(さとり)は一つのものである」になる。ここで、道元は「さとり」に「証」の字を充てている。これは観落とされがちだが、重要なことに思える。
  たとえば、「愛」や「心」というものに「実態(実体)」は無い。というか、おおよそコトバというものには「実体」は無い。そのものには実体はナイが、示すことは出来る。それが「あかし」だ。「愛のあかし」「正しさのあかし」。そうすると、「さとり」というものは、何か「証(あかし)」を示せればイイということになる。
  能の世阿弥のいう「花」は、まさにその「証」として存在する。世阿弥が禅の思想に強く影響を受けていたことは知られている。世阿弥は為手(シテ)の存在の実体を「花」という「証」として捉えた。花は動かぬ。そこに咲いていればよい。能に殆ど動きが無い、あるいは、決まった動きしかナイのは、そのゆえだ。花の動きは、或いは風に吹かれて、或いは雨にうたれて、或いは陽光に向いて、と、それだけを能は花の動きとして捉える。為手は花ではなくひとだから、その動きは「悲しみ」「恨み」「名残」「追憶」「孤独」「愛憐」というふうな主題を基に変化する。
  逆にいえば、どんなにコトバ(論理、理屈)を並べ立てようと、「証」なきもののいうコトバには、何の価値もナイ。単なる意味の羅列にしか過ぎない。彼の発するコトバに「夢」があったとしても、それは彼の「妄想」と、私たちは解釈して一向に構わない。
  およそ、さとるとは、コトバに「証」を示していくことに他ならない。

2011年12月11日 (日)

如是想解・3

17 執着(しゅうじゃく)
   まず、釈迦牟尼は「苦」に執着した。何故、ひとの世が、生きることが、苦しいのかに、彼はこだわったのだ。定説通り(歴史に残されている通り)理解すれば、「快楽」も「苦行」も、その執着を打ち消すことにおいて無意味だった。そこで菩提樹の下に座し、その執着を棄てることをもって、悟りを得た。これを解していえばおよそ、次のようになる。
  ・ひとは何事にも執着することが出来る(してしまうの積極性)。
  ・ひとは何事に対する執着も棄てることが出来る(可能性)。
  ・ひとは執着し、執着しないという理を生きることが出来る(中庸)
  ・何事にも執着しないということは、「執着しないということに執着している」に等しい(疎外)。
  ・よって、執着すべきこと、執着しても仕方なきことを求める(法)。

18 説法
   釈尊の説法が、「八正道」「五蘊」「十二縁起」と、箇条的になっているのは、説法する相手が、バラモンの教義を持っていたゆえ、それに倣うのが都合が良かったからに過ぎない。
   「人生が苦であるのは、ひとに欲望があるからだ」の「欲望」は「執着」と解したほうがワカリヤスイ。種の存続のための「食欲」「性欲」は、それ自体「苦」ではナイ。いいなおせば、「人生が苦であるのは、ひとに欲望に対する執着があるからだ」だ。道元は「生きていくためには飯を食わねばならぬ。しかし、飯に食われてはならぬ(『正法眼蔵』)」と、そのことを述べている。「人(にん)をみて、法を説け」が釈尊の「待機説法」と称されるが、これは演技者を演出する場合に通ずる。beginnerとveteran、そのcharacterとpersonality、それぞれに、演出家がman-to-manで、演出をつけているのと同じようなものだ。
   イエス・キリストの説法も辻説法(当時は、さまざまな派閥の預言者たちが、この方法をとっていた)ゆえに、福音に差異が生ずるのが仕方ないのと同じく、数知れぬある教典が、てんでばらばらなのは、その著作者の如是我聞の異なることに因るゆえのことだ。

19 乞食(こつじき)
  釈迦は何故、宿坊の弟子たちに労働をさせず、乞食をさせたのか。おそらく理由は、 ただ一つ、「布施」というものの体験のためであったと思われる。「布施」という行 為が如何にタイセツなことかを弟子たちは知ることになる。
  西洋の教会は、寄付を募り、さらに教会内でビールやワインの製造をしている。

2011年12月10日 (土)

如是想解・2

9 定点の存在
  並行存在とは、定点と動点の相対性をいう。
  相対は相(あい)にして対(つい)なるものだから、
  或いは対称性と称される。
  止まっているものがなければ、動いているものはナイ。
  何れかが止まり、何れかが動く。

10 無常の定点
   無常にも定点の存在が不可欠になる。
   常無らむということは、常であるものに対してのみいえることだからだ。

   
11 ひとにおける定点
   なるほど、この世は無常だ。
   しかし、この世は無常だと識知するものは動かない。
   で、なければ、無常ということがそもそも認識出来ない。
   よって、それを定点という。

12 相対性の絶対性
   この定点と動点の相対性は絶対性だ。
   即ち、完成を持たない。
   絶対性とは、常に「未完成の完成」であることを示す。

13 親鸞と道元
   二人はともに当時の仏教思想(末法思想)に対して疑問を持ちつつ
   親鸞は衆生(有情)に向けて仏教思想を解体して、これを開き、
   道元はこれを構築せんとして、修行による心身脱落(しんじんだつらく)を説いたが(『正法眼蔵』「現成公案」「生死」)何れも他力本願に行き着く。
   曹洞禅は、小乗に非ず、自力本願にあらず。
   (ただ、『正法眼蔵』においては、ある種のフェチシズムを感ずることがある)。

14 以心伝心
   「以心伝心」などというものはナイ。何故なら、以心伝心そのものが、コトバであるからだ。

15 禅と数学
   禅の思想(論理)は数学と似ている。何れもimageとしてしか捉えられないものに頼るしかナイからだ。例えば、「存在しないものが存在する」。「点には面積はナイ」「線にも面積はナイ」「面には厚みがナイ」のに、それらは存在する。

16 π
   半径1の円の面積をπという。この面積(π)の値が永遠に解けそうにナイのは、方法の不備ではナイ。円の内と外を隔てる「線」そのものが、imageでしかナイからだ。つまり、線は「存在しないのに存在する」ものだ。半径1の中心「点」もまた然りimageでしかナイ。半径1は無限と同値としかいいようがナイ。「円に内無く、外も無い、されど円は在る」といえば、禅語になる。「心身(しんじん)に内無く外も無い、されど心身は在る」とためしにいってみればイイ。

2011年12月 9日 (金)

如是想解・1

1 花を焼くな
  私の柩に生花を入れるな
  ともに荼毘にふされる花にとっても迷惑なことだろうから
  私の柩には、私とともに過ごした花の化石を添えてくれるだけでイイ。 

2 骨を拾うな
  いわゆる、骨拾いはしなくてイイ
  すべて粉骨して、畑の肥料にすれば事足りる。

3 生に執着(しゅうじゃく)しなければ、生もなく
  滅(死)に執着しなければ滅もまた、ナイ。
  不生不滅とは、このことをいう。

4 同じく
  仏性にこだわらなければ 仏性も無く
  仏性無きところに 仏性有り
  これが、ありのままの仏性というものだ。

5 ありのままとは
  なるがまま、なすがまま、のことをいうのではナイ
  その、本来の姿をいう。

6 不生不滅も、ありのままも、修行によって得られるのかも知れぬが、
  ひとは、そう強くはナイ。
  道元に出来たことも、凡夫ではそうはいかぬ。
  よって、親鸞の念仏ということになる。
  何れにせよ、結果はおなじなのだ。
  ほとけにすがるのではナイ、ほとけにゆだねるのだ。

7 留意しておくべきことは
  道元にせよ、親鸞にせよ、
  地球が球体であることを知らず、
  地動説も知らなかったことだ。
  よって、彼らの宇宙観(三千世界)はアテにならない。

8 並行存在
  ひとは同時並行に主体を生きている。
  これは主体と客体があるということではナイ。
  即自的に、並行した[私]を有する存在だということだ。

2011年12月 2日 (金)

花は枯れても

玄関の(といっても、半畳の三和土)に設えられたくつ箱の上に、コップに花を飾っておくのだが、柄にもなくそんなことをやっているせいか、水をやるのをうっかりしていて、枯らしてしまった。「すまなかったな」と、枯れた花に謝って写真だけ撮ったが、まあ、そういう乙女ゴコロなんてのは、世間には、どうでもイイことらしい。
ブルーレイビデオレコーダーが買って半年たたないのに壊れたので、購入した量販店に電話。三菱さんと連絡して、直接電話させますという。で、電話があって訪問修理の日程を決めると、翌日という。あれま素早い。で、翌日、修理担当さんから電話。これはまあ、おそらく三菱の下請け。夕方の4~5時に参上ということになって、さて、4時半頃に、そこから電話。「すいません、車をレッカーされたので、代車を調達してますので、30分ほど遅れます」。レッカーされるとは、またマヌケだなあと思っていると、今度は「場所がよくワカラナイ」と電話。私の住んでるところは、マンションも一戸建ても新しいものばかりだから、古いのは、私のスラムくらい。とにかく造成地だから、一通も多い。で、やっと到着。「レッカーとはタイヘンでしたね」と、とりあえず挨拶すると、「今月で三回目です。私、免停ですよ」と、日常茶飯のようにいって、さて、修理なんだが、これが故障ヶ所を調べるでもなく、予め用意された、内部ケーブルを取り替えるだけ。要するに故障するなら、ソコ、なのだ。「レッカーが三回とはひどいなあ」と、修理しながらの技術員に語りかけると、「営業車はすぐにやられちゃうんです」「でも、修理中は、路駐しかナイんでしょ」「そうなんですが、自家用とかはシール貼っても、出頭しないですからね。営業車だと会社に来ますからね。必ずカネがとれるし。まず、営業車両がやられるんです。絶対にヤラレナイのは、暴力団系列の車両、アトが面倒ですからね。インターネットじゃ、○○組の偽ステッカーなんか販売してますよ」まあ、交通課と刑事二課では管轄が違うからという大義名分はあるだろうが、駐車違反は、交通課だろう。要するに、なあなあなのだ。日本相撲協会と暴力団、芸能界と暴力団、そりゃあ、ご交際の多いところですよ。NHKの紅白から暴力団関係の歌手排除。そんなことすりゃ、紅白は成立しない。もっともNHKそのものが暴力団と似てるんだけどね。構造はソックリですな。とはいえ、最近の暴力団は、歌手の興行には殆ど関与してナイ。儲からないから。理由はそれだけ。
技術員はしみじみいう。「これからアト、三軒まわらなきゃならないんです。今日は何時に帰れるやら」。下請けの悲哀だな。私の親父も終生、下請け工場だったからな。町から「電機屋さん」が消えて、増えるのは、レコーダーの余計な機能と、hard discの容量ばかり。HDDにためてためて、けっきょく観ないで埋もれている番組が多いってのが現状なんじゃないの。私は使わないよ。もっぱらDVD専用。パソコンと違って、デフラグがナイから、故障が多くなるだけよ。花が枯れて哀しんでるような、現状じゃありませんな、世間の地獄は。

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