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2011年11月 3日 (木)

SLOFT通信work2・3

昨夜は、照明、舞台美術、ダンス振り付けの三者見学打ち合わせ。他の劇団の公演の都合で遅れて入る者があるので、plotの二つは出来ないが、頭から残りの九つのplotと、カーテンコールまでを観てもらう。本番は12月中旬だが、ここまでは仕上げてある。これで戯曲は四稿まで書き直しているものを提出している。偉いセンセイの真似をしてか、能力がナイのか、怠慢なのか、ホンが遅れて出来上がるのが本番直前などという、演劇をナメたようなことはしない。
舞台美術は、私が絵コンテを描き、最初の立ち稽古のときに役者にみせる。きみはこういう舞台設定のこの位置にいて、相手役と、こういう位相になるという指示を出すためだ。何故、そういうことを最初にするのかは、それが演劇の身体論だからだ。演劇における身体というのは、役者自体のひとのカタチというのではナイ。それを拡張、延長した舞台というsituation全てをいう。演技者はそこまて自身の身体を拡張し、逆にその舞台を自身の身体に感受したところの身体で、演じねばならない。
振り付けは衣装と関係するので、昨日は、季節と時間だけは決めた。また、舞台が砂浜なので、素足ということにした。さらに踊りやすいように、舞台美術との連携を図る。照明と舞台美術は、舞台美術によって照明を如何にするかということで、両者を交えて打ち合わせをする。
舞台は、役者が自由に動き回れるという空間ではナイ。どんなに自由に動いているようにみえても、それは演出によるもので、ほんとうは不自由なものなのだ。逆説(paradox)でいえば、「自由に動いて」といわれるほど、役者にとって縛りのキツイものはナイ。これは「すべてアドリブで」といわれているのと同じだ。
アトは衣装と、音楽・音響のスタッフとの打ち合わせを残すのみ。
肝腎の演技・演出においては、私は役者に対して「イメージが違う」というコトバは一切用いない。平田オリザ氏のように「イメージの共有」などという、本質的に出来ないことはやんない。(それをやろうとすると、両者のイメージが共有出来ているかどうかの確証を求める方法をどうするかという難問が生じる)。よって、演出は、具体的に指示する。
ここに立って相手役にこう対峙する、と、位相を決めれば、たいていの者はその距離感から、相手役との関係が変わってきたことを理解する。物理的なものは、そういうふうに演技者の意識に働く。

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