『AZUMI』
小山ゆう氏の『AZUMI-9』は良かったなあ。「刺客の運命」「美しき裸体」との二章で、人斬り以蔵との[愛]が描かれるんだけど、いいよねえ。眼が潤んだ。以蔵の面相が次第に良くなっていくふうに画風を微妙に変えてあるんだなあ。
このひとの漫画とは『俺は直角』からの愛読者で、『がんばれ元気』なんかはちょうど70年代ですか。あたしゃ『あずみ』も単行本で全て(全48巻)読んでますが、そいで、朝日新聞のやってる手塚治虫マンガ賞の推薦人をずっとやってるんで、5年ほど連続で『あずみ』推薦したんだけど、何で、受賞出来ないのか不思議でねえ。小山氏は小学館の漫画賞は二つ受賞してんだけど、それはまあ、社内賞でしょ。わかんねえなあ。
要するに『あずみ』は、『俺は直角』のアトを継いでるんですな。つまり、「速度」ということです。如何なる剣法も速さには敵わない。あずみは、速いんだ。「速いモン勝ち」ね。あずみの剣技に流派はない、剣法でも兵法でもナイ。「速さ」なのね。これは、いまでいうならイチローの野球ですよ。脳内シナプスの数は誰でも一緒。しかし、その速度には違いがあるんですな。これが、あずみもイチローも速い。つまり、009の加速装置みたいなもんですね。
で、その速度で刺客だから、人を殺す。「なぜ人を殺してはいけないんですか」という質問が小学生から出たことがあった。いいんだよ殺しても。(このことについては、研究中だから、いずれブログの上げる)。池田小学校の児童殺しの宅間は「死刑になりたから殺した」という。殺したら地獄行きかというと、そうではナイ。キリスト教の予定説でいけば、天国に行けるひとは予め決まっていて、宅間がそうなら、今頃天国の階段を昇っている。何故なら、天国へ行けるか行けないかは、神が決めることであって、ひとが決めることではナイというのが、キリスト教。善行、悪行関係ナシ。これは、親鸞、浄土真宗の「悪人正機(しょうき)説」に似てるでしょ。真宗の場合はさらに解釈が発展してますが。それはそうなんです。宗教も西欧と東洋の文化の融合がありましたから。しかし、神がいようといまいと、世界は同じなのだ(このこともいま研究中)。
話が逸れましたが、小山氏は私より四つ年上ですが、昔と違って60代というのは働き盛りで、経験値も高い。『AZUMI』のほうは、いよいよ服部一族が登場。これまた同じ宿命の者たちとの闘いになること必至。ここに苦悩も描かれるんでしょう。昨今のマンガ(comic)は出てくるキャラがみんな似たりよったりで人間味がねえからなあ。内容もこれも似たりよったりで、そんなことは山田風太郎センセイが、もうやってるよってなもんばかり。奇抜さをのみ狙って、キャラはやっぱ、ステロタイプ。舞台にしたいものなんて一つもナイ。
そういや上戸彩主演で『あずみ』が二本、映画化されていますが、これがカス。たぶん、上戸、人気絶頂期で、いわゆるケツカッチン。テイクが多くとれなかったんでしょう。何かダンドリの段階を撮ってるような感じでしたわ。
まあ、私は今後の『AZUMI』についていきますがね。
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