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2011年10月 6日 (木)

SLOFT通信・掃除の時間

identity、moratorium、complex、この三つが演劇の持つ「病理」のようなものだと設定すれば、私自身もその中に含めざるを得ない。ごく普通に演劇を営為している者にとってもだ。しかし、普通人にとって、これは「病理」というふうには称さない。これは哲学でいう「疎外」というものに該る。疎外とは何なのか、次に記してみる。
①それが自分(のもの)でありながら自分によって自由にならない。
②それが自分の創り出したものでありながら、逆に、それによって自分が支配されてしまう。(主従が逆転してしまう)
③それが自分の営為でありながら、自分にとって疎ましい存在となる。
こういったところだろう。

ところで、今晩の希死念慮は強く長かったなあ。週に何度かはあるのだが、たいていは30分ほどで治まってくれるのだが、今日はほんとにイクんじゃないかと思ったぜ。私が早め早めに原稿を書き上げることの理由の一つはこの宿痾の鬱病からくる、希死念慮があるからで、たとえ、鬱病30年選手でも、万が一ってことがあるからな。ああ、ほんまに、キツかったですわ。ふつうなら、ここで死ぬんだろうなあ。よく持ち堪えたワ。
自責自虐てのが、まずやってくるのだが、今夜は「お前だって、演劇に充分支配されているじゃないか。呪縛されているじゃないか。演劇に逃げているじゃないか」という容赦なき呵責だった。吐き気がして、三回胃薬飲んだぞ。

「疎外」という概念を初めて用いたのは、唯物論者のフォイエルバッハらしいが、私はこの御方の著作には触れたことがナイ。だから、マルクスをかじって覚えたのだ。ふつう、マルクスを唯物論者の大将のように誤解している向きもあるが、それは誤謬、錯誤というもので、マルクスはヘーゲル(の弁証法)にかなりの影響を受けているので、マルクスの哲学は弁証法的唯物論というのが正しい。私は三浦つとむさんで勉強したけど、読み込むにつれ、それが「物」を扱ったものではなく、人間の「観念」を扱っていることに不思議な気がした。何か「正しい観念論」を読んでいるような気がしたのだ。カントは、人間の認識によって「物」の概念などどうにでもなると考えたひとだが、ヘーゲルは物と人間の関係の関係というところにその論理を引っ張っていった。私もこの方法はスゲエもんだと思う。しかし、「絶対知」なんてこといいだしたからなあ。神仏、絶対者、などなど、語り得ぬものには沈黙を、とカッコよく述べたのはウィトゲンシュタインだけど、同じことなら「霊魂不説」というコトバで釈迦がずっと昔に述べているのだ。つまり論議しても確かめようのナイものを議論しても意味がナイから、この世に在るものについて考えなさいということだ。だから、ニーチェも、まず「神は死んだ」というところから思想しなければならなかったのだ。
ところで、私は哲学というのはさほど好きではナイ。どう転んでも理屈だからだ。理屈というのは風通しが悪い。私が哲学をほじったのは、そこから演劇の知識が帰納法的に、あるいは演繹的に取り出せないかなと思ったからだ。これは他の学問にも共通していえることで、そういうことをやってるから、演劇に「疎外」されてしまうのだなあ。これは気をつけないといけない。反省、反省。やっぱ、もっと女のことをうんと考えないとイケナイ。女性の精神をではナイ。そんなもんには、とおに絶望している。女性のオンナのことをだ。しかし、こう閉じ籠もってちゃなあ。いやあ、難しいもんですワ。

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