私という水は
水が売られるようになって
私たちは私たちが水であることを知った
店頭に並ぶ水は 私たちのカラダの殆どなのだと
私たちもまたペットボトルの水なのだと知った
悟りはせねど 私たちは水のごとくでなく
水なのだ
流れて 消えて 雲に 雨に
海に 地上に 降って 昇って
私たちは水なのだ
ならば
そういうふうに生きればイイ
形も 意味も無く 自然に還ればイイ
溶けて 混じって 静かに流れればイイ
方円の器に従うのも水ならば
瀬を早み 岩にせきとめられても
滝川の水のごとく 末に 逢はむとぞ思ふのも
私たちが水だからだ
台所の水仕事が冷たくなってきたね
と私は私にいう
水に水がいう
私たちの自然は そんなふうにして
私たちを自然に誘い 自然に返す
水道の水に 私は手から溶けはじめ
あるいは 水は私に浸透し
私が水になってしまうのか 水が私になってしまうのか
およそ七百年をかけて 地球の水は循環する
私の水は九十日で 循環する
減りもせず 増えもせず
私は水でありつづける
濁水であれ 清水であれ
味もなく 色もない
私が水でなくなる日まで 私は水として
ここにこうしている
が
とはいえ たとえコップをさしだしても
飲めぬかも知れない 私という水は
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