DVD感想『ばかもの』・・・その他
ひとは哀しい。と、ひとことで終わっても良かったが、如何にも気障なので、ちょっと書く。原作は芥川賞作家の絲山秋子。例によって私は文学には興味がナイので、原作は読んでいない。監督の金子修介は、なんだか少女映画ばかり撮るひとというイメージがあったのだが、さすがにこの映画は、原作の強さに支えられて金子修介の美学がよく出ている。ストーリーはご都合的といってしまえばそれまでなのだが、創作物というのはどんなものでもご都合的なのだ。都合よくいかないのは現実だけで、虚構というのは都合よく出来ているいるその出来不出来で優劣を判定するしかナイものだ。キャスティングは地味だ。主人公に 成宮寛貴と内田有紀。が、しかし、この二人がプロトタイプにぎりぎりなのだが良く出来ている。地獄をみたものにしか地獄はワカラナイ。最も巧みだったのは脚本の高橋美幸かも知れない。この脚本は、いわば勝ちきりの囲碁を観ているといったふうだ。曰く、緩着、失着がナイ。綺麗にヨセキッテの勝ちだ。
現実は、こううまくはいかない。私の父は勝手に生きて勝手に死んだ。実に我が儘な人生だったが、眠りながらの大往生だった。母は、私とのミッシングリンクの40年を取り返すべく、母になろうと努力しているが、おそらく私はそのひとの死に、悲しみこそすれ、和解することはナイだろう。私も弟も家を棄てた。従って私には帰るべくところはもうナイ。弟としても同様に違いない。祖母より前の家系のワカラヌ不思議な家は、かくて、私と弟の代で終焉する。
どうも今夜は蒸し暑い。湿度計の針は高くはナイのだが、残暑のせいだろう。
今夜は、希死念慮との闘いもあった。ひさしぶりのことだ。これを短歌五首を書くことで切り抜けられたのは、新しい発見だ。つまり、対他的に対処したことになる。いつもそんなふうにうまくはイカナイだろうが、まあ、いいんじゃねえのだ。足の痛みは、昨日から少しずつだが、軽減してきている。やっと消炎剤の効果が出てきたというところか。
まったく、毎日が命懸けなんだから、ナ。
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