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2011年9月27日 (火)

SLOFT通信・女3への手紙・2

・そうなると、イメージした身体(脳髄)とカラダ(音声・動作)とのあいだに齟齬が生じます。「頭ではワカッテいるんだけど、出来ない」というよくあるやつです。
・ここを超えていくのが「演技」であり、超えた分の見返り、それによって新たに身につけられた、蓄えられた力を「演技力」というふうにいいます。(つまり「演技力」というのは演技の実力をいうのではありません。演技に生かせる蓄財、それによって、演技を高めることの生産力をいいます)
・このとき、演技者は役者となって、役のイメージに囚われます。漠然とした役のイメージに頼って、ホンのコトバ(せりふ)から離れていってしまう懸念があります。よって、私は「役」を重要視しないのです。
・さて、このあたりまでは一般論的なことも含めて述べてきました。ここから加東サユミ固有の演技者について、その希求するものと「壁」と、その突破口について、考えたことに入っていきます。これは、私自身演技者である場合の固有性も含んでいますから、どの程度の効力があるかはワカリマセン。
・あなたが、好きでないシーン(お絵描きの)はともかくとして、あなたが、好きであると述べたエピローグの詩のせりふと、最後まで苦慮して、けっきょくは興行的演出に終わってしまった長ぜりふのシーンを何度も読み返しました。そこで、何を欲して(望んで・求めて)何がデキナイのか、何故デキナイのかを、もちろん、デキルようにするためにはどうすればイイのか、を、(みかけほど頭の良くない)私なりに考えました。癪だったからです。SLOFTの意味がナイことが、悔しかったからです。
・結論からいってしまうほうが簡単だと思うのでそうします。
・[素材は表現に優先する]という命題に反証して[表現を素材に優先させる]方法論を考案すべきではないかというのが、私のいまのところの考えです。
[素材は表現に優先する]という命題は、実はヘーゲルの弁証法とマルクスの唯物論弁証法から導き出されたものです。そういうふうに書くとたぶん、ワカラナイと思うので、それらはコインの裏表だと思って下さい。
・身体論としていうとき、いまここにコップがあり、それを手にする。そうすると、そのコップは身体の延長になる、ということは猫の夜会で話しましたね。このとき、コップというものを単なるガラスの素材の容器であって、精神(意識)はそれをコップというふうに認識しようと、しまいと、それは「私」の意識の勝手な思い込みであるというのがヘーゲルの考えなら、マルクスの場合は、コップという「物」が在って、それを精神(意識)はガラスの素材で創られたある表現であると認識する。要するにいっていることは同じなんです。コップという「物」が先にあるか、意識が先にあるかという違いだけです。どっちも生ずるものは対象(その物)の、意識(観念)なんです。

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