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2011年9月 6日 (火)

SLOFT通信・26

ラストシーンの女3、ここはいままで道化だった女3が豹変してみせるところ。点は出来るのだが、線がつなげない。これは女3の演技をいっているのではナイ。私の演出技量の問題なのは百も承知だ。演出は専門外なので、などといってる場合でもナイ。映画のようにカットで割って確認していく方法をとってみるが、正直、それでいいのかワカラナイ。しかし、けしてイイワケでなくいわせてもらえば、「ワカラナイ」ということは演技者にとってもタイセツなことだと思う。何故なら「ワカラナイ」ので「考える」からだ。「考える」から「ワカラナイ」という壁にぶちあたるのだ。この壁を越える者、越えてきた者を「プロ」という。アマチュアとの違いは、食えるかどうかの問題ではナイ。安物のドラマのように禅僧なんかが、「何も考えるな。無心になれ」などとアホなことをアドバイスするのを、まんま信じているさらなるアホもいるにはいるが、それは、ただのアホ。さらに、いうならば、「ワカッタように思ってしまう」、経験論的誘導制ワークショップと大きくチガウところだ。さて、それでも、これでいいはずなのだが、とは思いつつ、いつもより多くの動作を付加したことにまだ納得出来ないでいる。これは、私のものではないなと、その不満、屈託が拭いきれない。ここはラストシーンに該るので、女3には悪いが、もう少し粘るつもりだ。
殺陣師杉本、師匠と弟子で来てくれる。渡りに船。昨日は振り付けの静乃センセイだけだとばかり思っていたので、両者に時間を分けて、指導願う。振り付けは新しい部分がひとつ入る。これが思いの外効果を上げている。殺陣は、殺陣師杉本が賞賛するほど進歩している。なおかつ女1・2からのさまざまな質問が殺陣師杉本に飛ぶ。それに応えつつ、熱心な殺陣師杉本。成果あって、みごとな緊張感が出てきた。稽古終了後も、まだ、殺陣だけ稽古している。

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