『無門関 禅箴』の公案に答えて
『無門関 禅箴』
「規則に従い矩を守るは自縄自縛
自由奔放に生きれば外道悪魔
心を澄ませて沈めるのみは沈黙の邪禅
傍若無人に振る舞えば深き谷間に転落す
常によく目覚めんとすれば自分の首に枷を嵌めるようなもの
善いの悪いのと思惑するのは地獄天国の迷いの世界
仏や法を有り難がるは二重の鉄山
念起りこれを自覚するは、霊魂を弄するにほかならぬ
ただ座ればひとりよがりの穴ぐら住まい。
進めば法を見失い、
退けば宗に背く
進まず退かずは、死人も同然
いえ、如何に禅を実践すべきか
生きているうちに答えを出さねば
憂いを永久に留めるぞ」
想子 答えて曰く
「倫理あれど規則なきて 我が身を縛る縄なし
外道悪魔は同志朋輩なりて、自由奔放
心を澄まし沈めて沈黙するを邪禅といわば 禅なるは邪に過ぎず
傍若無人に振る舞いて 深き谷間より這い上がるも遊戯
居眠りばかりで首の枷など気にとめず
我が身は善悪の彼岸にありて 迷いなし
仏も法も未だ眼前に観ずして これを頼らず
念起こり自覚すれど 霊魂の有無は語らず
座らず 横になりてアパート住まい
進む 退く は我が意にあらず ただ無常の動くのみ
無常の道を進むも退くも 無にとどまる証より他になし」
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