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2011年9月 5日 (月)

SLOFT通信・25

予想通りに、予想通り。音響ノノヤマか来たので、タカアキはpromptにまわる。せりふが飛んだりテレコになったり、落ちたり、止まったりの予想通り。女1が珍しくせりふを三つトチル。女1にとっては初めてのこと。冒頭のシーンで、せりふの前に軽いアクションが入るのだが、それがなかったので理由を訊きにいく。こういうのを、見逃さないようにすることはタイセツなことだ。「ただなんとなく」という答。(演出指示ではないアクションだったので)「どっちでもいいですが」と答えておく。しかし、これはヤルかなとおもっていたら、案の定だ。「ただなんとなく」はあまりいいことではナイ。カラダの記憶は、せりふに影響する。「ただなんとなく」影響する。そこで、(演出指示ではナイので)どちらか決めておいたほうがイイと指導。コトバ(せりふ)を操っているようにみえても、演技者はコトバ(せりふ)に操られてしまうものなのだ。女3が一昨日質問してきたシーンに、一応の答を出しておいたが、その通りやってみて、これはクリア。ただ、新しくつけた演出を、通し稽古の最中で、ドン忘れ。忘れたことに気付いたのだろうが、そのまま、以前のパターンで最期まで続ける。それはそのほうがイイ。やり抜くというのはタイセツなのだ。不埒に不躾な演技者などの中には「すいません、ちょっとストップ、やり直していいですか」などと、勝手に稽古を中断するものがいる。何が起ころうとも、演出が「止めます」というまでは続けねばならない。映画においては、監督のカットの声がかかるまで、演技者は演技をつづけねばならないのと同じ。女3の演出は、その日変更したものだから、通し終了後、段取りをやって、一度やっておく。
殺陣は難しい。一カ所だけ、どうしても目立つNGがあるのだが、そこが何度やっても上手くいかない。いちいち、ああすればこうすればといい、当人たちも、足の位置とか向きとか、しゃがむtimingとか、いろいろいうのだが、決まらない。こればかりは、素人の私にはよくワカラナイ。
女3からせりふをいうとき、前に出過ぎててはいないかという質問。これは舞台をやっていると必ずやって来る、判子でも捺したような決まりの質問。このとき、女3には、架空の観客がみえているのだから、その距離をいっている。この場合演出は曖昧なことをいってはイケナイ。断定して答えるべきだ。ウソをつけといっているのではナイ。現状ではワカラヌこともあるのだ。舞台は何も出来上がっていない、照明のシーリングがどこまでかもワカラナイ。最前列の客に、オタクとか、気色の悪いのが座るかも知れない。しかし、現状においての判断を断定して述べるべきだ。「どうかなあ」ではイケナイ。「現状維持でイイ。情況によって変動す」でいいのだ。
女2のメリハリの演技がようやく出来上がってくる。餡ころ餅に餡子が入ったというふうになった。女4の抑制の利いた演技とのコンビネーションがよくなった。女1に気押されなくなった。
三歩前進一歩後退、一歩は横に。

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