SLOFT通信・32
昨日は最後のrehearsal。本日、夜、ゲネプロをもって、稽古は終了。昼稽古はなし。というか、悪あがきしても仕方ない。rehearsalでは、昨日より数は減ったがトチリ、せりふ間違い多し。拠って「ホンに還れ」。けだし当初の目標であった「カッコイイ芝居にしましょう」は達成されたりと思える。「交通事故に気をつけるように」「生ものを食べるのは避けるように」と指導。本番当日の弁当スタッフにも、刺身や揚げ物の多いものは出来るだけなくして、煮物の多いものでと注文。「役者はなんでも食えるくらいタフでナイと」というウソや見栄はつかない、張らない。劇団第三舞台(third stage)の鴻上尚史は、本番公演中の役者の飲酒も禁止したそうだが、それは正しいと思う。その程度の禊があってもいいではないか。「米飯だけ食ってりゃイイんだ」と指導?。握り飯がほんとうはイチバンいいのかも知れない。赤穂浪士討ち入りの際、まるまる一晩に渡る死闘で、摂った食事は握り飯と水のみ。(交替で飯は食ったところはスゴイね)。
人事を尽くして天命を待つ、てなことは私は信じていない。都合のいいときだけ「天命」などといってはイケナイ。人事を尽くしてダメなときもある。さらに人事を尽くすべく努めればいいだけだ。よって、演技者には「勝負の世界ですから、勝ったり負けたりはあります。出来のイイ日、悪い日もあります。SLOFTにおいては、負けるがよろしい。そのための道場です。何故、負けたかを考えるほうがイイんです」ダメなときでも60点、引き分けに持ち込みたいというところ、はむかしと変わらない。
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